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読書感想文
 
フランセス・ポヂソン・バーネット「小公女」(イギリス)を読む

 競争をすれば勝者と敗者に分かれる。勝者を強者、敗者を弱者と置き換えてもよい。自由主義社会は強者と弱者が共存する社会ともいえるが、欧米では長らくこの自由主義社会を選択してきた。
 なぜ欧米が自由主義社会という社会システムを採用してきたのか。おそらく、欧米人には強者は弱者を助けなければならないという倫理観があるからではないのか。この倫理観がなければ決して競争が意味あるものにならないだろう。私はこの倫理観はとりもなおさずキリスト教の教えではないかと思っている。欧米の小説を読むと、欧米社会の底辺にこの教えが脈々と流れているのを感じる。
 キリスト教徒たちの1つの目標は永遠の生命を得ることである。ある青年がイエス・キリストに永遠の生命を得るための方法を尋ねた。キリストはこう答えた。

「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」<マタイによる福音書、日本聖書教会の訳による>

 このキリストの教えがキリスト教徒たちの行動規範になっているのは間違いないであろう。キリスト教徒たちにとっては、強者が弱者を助けるのは強制されてではなく自然の情から発して行われるものなのであろう。やはり自由主義社会はキリスト教徒の社会だからこそ生まれたのであろう。

 「小公女」は、弱者を助けるという行為がテーマの1つになっている。
 「小公女」の原作はイギリスの作家バーネットの「A Little Princess」である。バーネットは少年少女向きの小説をたくさん書いた人である。1849年に生まれて、1924年に亡くなっている。日本では明治時代、若松賤子(しずこ)によって紹介された。
 私が「小公女」を手にとったのは、内容に惹かれてというよりも、その訳者に惹かれたといったほうがよい。その訳者とは伊藤整である。伊藤整が少年少女向きの小説の翻訳をしていることにいささか驚いた。私は早速、新潮文庫・伊藤整訳「小公女」を読んだ。伊藤の訳は名訳である。子供が読むという前提でやわらかな文章で訳されているが、それがかえって、作品のみずみずしさをひきたてているように思えた。内容自身たいへんおもしろく、私は素直に感動した。伊藤はあとがきで次のように書いている。

<こんなにおもしろくって、かわいそうで、勇ましくって、人の心の美しさを書いたお話は、なかなかほかに求められません。>

 「小公女」の主人公はサアラ・クルウという少女である。サアラは父親1人に育てられた。サアラの父親はクルウ大尉といい、実業家でもあった。クルウ大尉は7歳のサアラをロンドンのミンチン女史の経営する神聖女子学院に入学させて、単身インドに旅立った。ところが、クルウ大尉はインドで友人と共同でダイヤモンド鉱山の開発に投資をして、失敗した。彼は破産し、そして死んでしまった。
 サアラの生活は急転直下天国から地獄に落ちたように変わった。豪勢な部屋から屋根裏部屋へと移された。校長のミンチンは陰険で強欲で、頭の中は金儲けのことしかなかった。ミンチンはサアラをいじめそして利用するだけ利用した。食事もわずかしか与えなかった。しかし、サアラは気品があり、そして、決して人を羨むことがなかった。彼女は同じ学校の同年輩の小間使いのベッキイをいたわった。ベッキイはサアラの隣の屋根裏部屋に住んでおり、ミンチンにこき使われ、時には殴られたりした。
 サアラはいつもお腹をすかせていた。彼女は町でたまたま4ペンス銀貨を拾った。そのお金で彼女は甘いパンを4個買った。パン屋のおかみさんが気をきかせて6個くれたが、サアラは5個を乞食の女の子にあげてしまった。
 神聖女子学校の隣に奇妙なインド人が引っ越してきた。そのインド人の主人はインド帰りの大金持ちであったが、病気がちであった。その人の名はカリスフォドといい、長い間、友人の娘を探していた。その友人とはクルウ大尉であった。カリスフォドはクルウ大尉と一緒にダイヤモンド開発に投資をした人であり、その開発は実は、大成功したのであった。彼は巨万の富を築いたが、その半分はクルウ大尉すなわちサアラのものであった。
 灯台元暗しである。カリスフォドはやっと探し求めていた少女に出会った。その後サアラは本当の小公女のような生活をし、ベッキイもサアラの侍女となり、2人とも幸福に暮らした。

 どんなに惨めになっても貧しくなっても、サアラは気品を失わず弱者を助けた。「小公女」は人間の尊い姿とはどのようなものかを教えてくれる。 

 
フランセス・ポヂソン・バーネット「小公子」(イギリス)を読む

 アメリカ合衆国の歴史は1620年にイギリスの清教徒がメイフラワー号に乗って、ボストン近郊にたどり着いたときから始まる。その後、イギリスの植民地になったが、独立戦争に勝利して、1776年アメリカ合衆国が誕生した。
 イギリスはアメリカにとっては敵であったため、アメリカ人はイギリスに対していい思いはしなかった。アメリカはイギリスを逃げ出したものたちが作った国であったので、イギリス人のアメリカ憎しはすさまじかった。イギリス人はアメリカそしてアメリカ人を徹底的に蔑んだ。しかし、イギリスとアメリカはいいにつけても悪いにつけても、切っても切れない関係になり、現在まで、イギリスとアメリカが協力して世界をリードしてきた。 アメリカは新大陸と呼ばれ、イギリスを含めたヨーロッパは旧大陸と呼ばれた。旧大陸はすべてにおいて保守的で、自由が制限されていた。自由を求める人はアメリカに渡った。アメリカは旧大陸のような縛りがなく、自らの才能でもって道をどんどん拓ける自由の地であった。資本主義がアメリカで発達したのも当然である。
 旧大陸で失敗した人の多くがアメリカに渡った。その中に、イギリス人のフランシス・ホジソン・バーネットの一家がいる。バーネットは1849年にイギリスのマンチェスターで生まれたが、彼女の家は貧しく、16歳のとき一家をあげてアメリカへと移住した。その地で、バーネットは小説家を志し、見事にベストセラー作家となって、文学史にその名を残した。
 バーネットの書いた「小公子」はアメリカ・イギリスで出版してまたたく間に100万部売れ、世界10か国以上で翻訳された。日本では、若松賤子が訳した。

 「小公子」は子供向けに書かれたものらしいが、大人が読んでもおもしろいし、そして自らの人生を深く反省させてくれる。この小説には、人間としての美しい生き方が描かれている。
 「小公子」の主人公はセドリックという7歳の少年である。セドリックの父親はセドリックが幼い頃に亡くなり、セドリックは母親とニューヨークで貧しいながらもたのしい生活を送っていた。
 セドリックの父親はイギリス人でエロル大尉といった。エロル大尉の父親すなわちセドリックのおじいさんは大貴族であった。だが、エロル大尉は三男であったので、父親の遺産を継ぐことができなかった。
 エロル大尉はアメリカに渡り、美しく気品のある孤児の少女と巡り合い、彼女と結婚した。この少女がセドリックの母親になった。エロル大尉は結婚のことを父親に知らせたが、父親はアメリカ人と結婚することに激怒し、エロル大尉と縁を切ったのである。
 突然のことながら、セドリックは大貴族のおじいさんの跡継ぎに決まった。エロル大尉の上の2人の兄たちが死に、おじいさんの血を受け継いだのがセドリックだけになってしまったからだ。
 おじいさんは伯爵であったが、自分のことしか考えない強烈なエゴイストであった。当然、ほとんどすべての人から嫌われていたし、おじいさんもすべての人を嫌っていた。特に、自分の反対を押し切って結婚した息子の嫁のエロル夫人を嫌った。
 伯爵は大金持ちで、金の力で人を従えた。伯爵はセドリックをアメリカからイギリスに来させ、伯爵と一緒に城に住ませた。エロル夫人は城に住むことはできず、城の近くに住むことになった。
 伯爵はセドリックと一緒に生活するにつれて、性格が変わってきた。人を大事にするようになったのである。セドリックの性格が劇的に伯爵を変えたのである。セドリックはやさしく、思いやりがあり、人を疑うということができない子であった。それは両親の性格を受け継いだからである。
 物語の最後、伯爵はセドリックの母親のエロル夫人を城に一緒に住めるようにした。物語はハッピーエンドで幕を閉じる。

  お金よりも大切なものがあるとバーネットはいいたかったのであろう。

作文道場フランシス・ホヂソン・バーネット。 1849年- 1924年。
イギリスのマンチェスターに生まれ。アメリカ合衆国の小説家、劇作家。
1873年に医者のスワン・バーネットとワシントンD.C.で結婚。
1886年には『小公子』を雑誌『セント・ニコラス』に発表。
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