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はじめに
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読書感想文
 
チャールズ・ディケンズ「クリスマス・カロル(キャロル)」(イギリス)を読む

 ディケンズといえばシェークスピアと並び称されるイギリスの国民的作家である。夏目漱石も愛読した。また、ロシアのドストエフスキーもかなり影響されている。
 ディケンズが人気があるのはその経歴が一役買っているのかもしれない。ディケンズは上流階級の生まれではなく、下級官吏の子として生まれた。家は貧しかったため12歳から働き始め、いろいろな職につき24歳のとき作家としてデビューした。ディキンズは下層階級の人たちに混ざって必死になって生きたのである。この体験がディケンズの作品の土台をなすのは明らかであろう。ディキンズは実際に社会の底辺で蠢(うごめ)く人間たちの悲哀・喜び・苦痛・矛盾をつぶさに見たのである。と同時に彼は階級に関係なく人間のもつ崇高さをも見てとったに違いない。
 人間は神が創造した愛あるすばらしい生き物であるというのがディケンズの思想の根幹をなすものである。ディケンズの作品を読むと、私は人生を肯定的に見、そして少なからぬ勇気をもらう。ディケンズが国民的作家であることが十分に頷ける。
 ディケンズの代表作は何といっても「クリスマスカロル」である。この作品は現在でも世界中で読まれ、何回となく映画化もされている。私も繰り返し読み続けている。特にクリスマスが近づくと読みたくなるのだ。その他にクリスマスが近づくと読みたくなる小説がある。オーヘンリーの「賢者の贈り物」である。この作品も人間愛に満ちた感動的な小説である。これら2作は底辺で繋がっているように私には思われる。

 「クリスマスカロル」の主人公はスクルージという因業な老人である。人に対して愛情のかけら1つも持たないで、金儲けばかりを考えてる人間であった。
 スクルージはスクルージ・マーレイ商会の経営者である。使用人はボブ1人である。スクルージはボブを1週間15シリングという薄給で使っていた。
 時はクリスマスイブである。ボブは仕事を終え、帰り際にスクルージに明日はクリスマスなので休ませてほしいと願いでた。スクルージは嫌味をいいながらしぶしぶ了承した。ただし、明後日の朝早く出社する条件を忘れなかった。
 クリスマスイブでもスクルージは誰かと祝う予定などなかった。スクルージは甥が1人いるだけで天涯孤独といってよかった。スクルージ・マーレイ商会の共同経営者であったマーレイも昔に死んでいた。1人寂しく居酒屋で粗末な夕食をとるとスクルージは誰もいない自分の部屋へ帰った。部屋は金持ちの部屋にしてはたいへんみすぼらしかった。
 その夜、スクルージの部屋にマーレイの亡霊が現れ、これから3人の幽霊がお前に会いに来ると伝えた。その3人の幽霊とは過去・現在・未来の様子を見せてくれるものたちであった。
 第1の幽霊はスクルージに彼の学校時代の姿を見せた。学校時代、スクルージ少年は孤独であった。その姿を見てスクルージは懐かしくそして悲しんだ。
 第の幽霊は現在の様子、すなわちボブの一家のクリスマスを祝う様子を見せてくれた。ボブの家は子供が多かった。貧しいけれども一家は幸せだった。着るものも思うようにならない状況であったが、ボブ夫妻は子供たちにたっぷりの愛情を注いでいた。子供の1人に幼いティムがいた。ティムは体が弱く杖をついていた。いつ死ぬかわからない状態であった。スクルージはティムの姿を見ると心を痛めた。
 ボブは子供たちにスクルージのために祈りを捧げることを命じた。
 第3の幽霊はスクルージ自身の未来の姿を見せた。だが、生きたスクルージは見られなかった。スクルージは侘しく死に、誰1人悲しむものはなかった。それどころか人はこぞってスクルージの残したものを奪おうとした。スクルージだけでなくティムもこの世にはいなかった。
 過去・現在・未来を覗いたスクルージの心に灯がともされた。その灯は人を愛する灯であった。スクルージはティムの第2の父親になり、そして自分の財産を貧しい人に分け与えた。

 「クリスマスカロル」は読むたびに心が温まる。貧しき人々のために奉仕をする、これは未来永劫変わらない人間の理想的な姿かもしれない。

 
チャールズ・ディケンズ「デイヴィット・コパフィールド」(イギリス)を読む

 夏目漱石はイギリスに留学中、神経衰弱になるくらいに読書に熱中した。漱石は文学はいうに及ばず、歴史・科学・心理学・芸術など広範囲に読書をしたのであるが、イギリスの国民的作家のディケンズの作品も読み漁ったに違いない。
 漱石の作品の人物で、心に残る人物の一人に「坊っちゃん」の清がいる。坊っちゃんは生まれ落ちたときから、清に面倒をみられて大きくなった。坊っちゃんにとって清は母親以上の存在であった。
 清のモデルは誰だと詮索するつもりはないが、私はディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」を読むたびに、この作品に登場する主人公デイヴィッドの乳母のペゴティーを意識して漱石は清を創造したのではないかと思ってしまう。
 ペゴティーはデイヴィッドにとって切っても切れない存在であった。ペゴティーの存在が「デイヴィッド・コパフィールド」という物語を太く、そして深くしている。
 「デイヴィッド・コパフィールド」はディケンズの自伝的小説だといわれているが、実際にディケンズが経験したことと、小説の内容はかなり違っている。精神的自伝小説といってよいかもしれない。ディケンズは主人公デイヴィッドに自分の生きる上での人生哲学を与えたのであろう。
 私はディケンズの作品は好きである。それは、努力すれば報われるという単純な上昇志向の人生哲学をベースに作品ができているからである。一見、文学としての深さに欠けるようであるが、逆に、現代のような世知辛い世の中では、却ってすがすがしい小説に思えるのである。何もディケンズの作品が現代だけに読まれるといっているのではなく、未来永劫、読み継がれるであろう。やはり、ディケンズの小説が人間に対する深い愛情をもって書かれているからである。

 「デイヴィッド・コパフィールド」は流行作家となったデイヴィッド・コパフィールドが自分の半生を綴った回想記である。その半生は波乱万丈といえる。
 デイヴィッドはこの世に生まれ落ちたときから不幸の連続であった。生まれたときにはすでに父親はなく、デイヴィッドは世間を知らない二十歳の母親と乳母のペゴティーに育てられた。亡くなった父親には伯母のミス・ベッチーがいて、その伯母は甥の子供であるデイヴィッドが男の子であったので、デイヴィッド母子の面倒をみようとしなかった。伯母は女の子だったら援助するつもりだったのである。
 母親は再婚したが、相手は最悪の男であった。男は自分の姉を呼び寄せ、デイヴィッド母子の家に一緒に住むことになった。母親は夫とその姉にいじめられて結婚して間もなく死んでしまった。
 継父はデイヴィッドに学校を辞めさせ、ロンドンの酒の商会の小僧にした。そこでの仕事をデイヴィッドは嫌がり、商会から逃げだした。デイヴィッドが向かった先は唯一の肉親であるミス・ベッチーの住むドーバーであった。着の身着のまま野宿をしてドーバーにたどり着いた。ミス・ベッチーは事情を知り、デイヴィッドを養子にした。
 デイヴィッドは再び学校に通い、一生懸命に勉強した。学校を卒業すると、ロンドンの法律事務所で働いた。
 物語はデイヴィッドと数々の友人そしてペゴティーの兄の一家を中心に展開されていく。デイヴィッドはいろいろな事件に巡り合い、そして情熱な恋もした。熱烈な恋愛の果てに結婚した最初の妻が結婚してすぐに死んでしまうなどの不幸があってもそれを乗り越え、作家として有名になった。物語の最後、デイビッドは学校時代からの友達であった美人でしとやかで教養のあるアグネスと結婚し、幸せな家庭をもった。

 ディケンズの生きた時代はイギリス社会が高度に発展していく最中で、どんどん豊かになりつつあった。ディケンズの小説は発展するイギリスを象徴しているようだ。

 
チャールズ・ディケンズ「二都物語」(イギリス)を読む

 フランス革命を象徴するものは何といってもギロチンであろう。ギロチンとはこの首切り機を考え出した人間の名前である。
 1789年にバスチーユ牢獄が市民によって開放されて以来、ギロチンはふる稼働した。何千何万という数の人間の首を切り、血を吸った。ルイ16世と王妃のマリー・アントワネットもギロチンの餌食になった。
 正義を振りかざす市民と称する革命派は王族・貴族を容赦なく捕え、次々と革命裁判を行い、ほとんどをギロチンへと送った。旧体制を支援したと思しき人たちにも革命派は刃を向けた。罪を平気ででっちあげて処刑した。
 近代化学の発展はラボアジェが質量保存の法則を発見してから始まるといわれている。また、ラボアジェは燃焼とは物質が酸素と結合することであることも発見した。ラボアジェは徴税請負人であったため、ギロチン送りになった。革命裁判所とは裁判をするところではなく、死刑を宣告するところであった。
 革命とは体制がひっくり返ることである。倒されたものたちが、倒したものたちに何をされても文句はいえなかった。革命に正義も人道もない。あるのは恨みだけだ。革命によって、弱者が救われるということは決してなかった。
 フランス革命は1つの狂気であった。この狂気をモチーフにしてできたのが、ディケンズの「二都物語」である。この物語は18世紀末のパリとロンドンを舞台にしている。

 「二都物語」はチャールズ・ダーニーとドクトル・マネット父娘を中心とする物語である。ドクトル・マネットの娘がルーシー・マネットであり、ダーニーとルーシーは愛し合いそして結婚する。
 3人ともロンドンに住んでいるが、フランス人である。チャールズは貴族であったが、伯父があまりにも非情な暴君で、領地の民衆に対する苛斂誅求が度を超えていたのを目の当たりにして、貴族の身分と財産を捨て、イギリスに渡った。チャールズはやさしい性格の持ち主であった。
 ドクトル・マネットは医者であるが、ある貴族の兄弟の謀略によって、バスチーユ牢獄に10年以上も幽閉された。その兄弟とはチャールズの父親とその兄すなわち伯父であった。ドクトルはそのことでチャールズを責めることはなかった。チャールズはドクトルにとって愛すべき娘婿であった。
  シドニー・カートンというイギリス人の弁護士がいた。カートンはある裁判で、チャールズとドクトル父娘と知り合う。カートンは厭世家で人生に絶望していた。いつも飲んだくれていたが、ルーシーに恋心を抱いた。
 カートンは不思議なことに、顔・形がチャールズとそっくりで、瓜二つであった。ルーシーがチャールズと結婚しても、カートンのルーシーに対する思いは変わらなかった。ルーシーの幸福を心の底から願っていた。
 1789年にフランス革命が勃発すると、フランスの王族・貴族たちには死の影が忍び寄った。チャールズはロンドンにいたからだいじょうぶであったが、フランスの貴族時代に雇っていた召使が革命裁判にかけられ、ギロチン送り寸前であることを手紙で知った。正義感の強いチャールズは召使の無実を証明するために、パリに行ったが、案の定、チャールズは捕まり、革命裁判にかけられた。
 チャールズは無実になったが、その後すぐに起訴され、再び革命裁判にかけられた。この裁判で、チャールズはギロチン送りと決まった。
 ドクトル親子は深く悲しみ、絶望したが、カートンはうまく立ち回り、牢獄に繋がれているチャールズと入れ代わった。
 チャールズの一家はカートンの手配によって、うまくパリを抜け出し、イギリスへと無事に戻った。チャールズの見代わりとなったカートンは、ギロチンにかかってあの世へと旅立った。

 「二都物語」は何とも泣かせる物語である。私にはカートンとイエス・キリストが重なって見えた。

 
作文道場チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)
1812年 - 1870年 。イギリス・ポーツマツ生まれ。金銭的に貧しい幼少期を過ごし、新聞記者になる。新聞記者の時に「ボズ」というペンネームで投稿した作品をまとめた「ボズのスケッチ集」で批評家の目に留まる。その後国民作家になる。
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