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はじめに
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読書感想文
 
ギ・ド・モーパッサン「脂肪の塊」(フランス)を読む

 モーパッサンの「脂肪の塊」は文学とはこんなにもおもしろいものかと教えてくれた私にとっては最初の作品である。初めて「脂肪の塊」を読んだときは作品のうまさに惚れ惚れとした。モーパッサンは天才だと思った。さすがに永井荷風である。モーパッサンは荷風が愛してやまない作家の1人である。
 フランス文学というとゾラ・ユゴー・バルザック・スタンダール・フローベール・デュマ・ボードレールなど世界文学史に燦然と名を残す人たちが多いが、私は何といってもモーパッサンがフランス文学の中では最高の部類、いや世界文学の中でも最高の部類に属する作家だと思っている。「脂肪の塊」1作でも私はそう思うに違いない。それほど「脂肪の塊」はすばらしい作品なのである。
 「脂肪の塊」のおもしろさは一体どこからくるのだろうか。やはりモーパッサンの人間を見る見方の奥深さからくるのであろう。この見方があるからこそ金持ちであったり爵位をもっていたりとする人間たちのどうしようもない俗っぽさ、逆に、社会の底辺で蠢く娼婦たちがもつ気高いプライドや国を思う崇高な気持を心の動きを通して描くことができるのであろう。
 「脂肪の塊」を読むと人の価値というものが、その人の属する階級・階層だとか組織などとは何の関係もないことがしみじみと理解させられる。しかし、私たちはときとして偏った見方をすることもあるし、世に偉いといわれている人たちの美辞麗句をそのまま信じてしまうこともたびたびである。文学はふと、大言壮語のばからしさや一寸の虫にも五分の魂があることを私たちに気付かさせてくれる。
 人間とはつねにあやまちを犯す可愛いい生き物である。そのあやまちを揶揄しそして弁護するのも文学の役割である。モーパッサンはそれをおかしみと哀れさをまじえて芸術的に描くのである。

 普仏戦争に負けたフランスの町にはプロシア軍が進駐し始めた。ルーマンの町もその1つであった。プロシア軍が進駐してきたら何をされるかわからない。ルーマンに住む3組の夫婦は、まだフランス軍が占領しているル・アーヴルの町を目指すべく、ルーアンの町を去ることに決めた。3組の夫婦の夫たちは実業家であったり伯爵であったりの上流階級の人たちである。
 一行は知り合いのプロシア将校たちを動かして司令官から移動の許可を得た。6人はホテルから4頭立ての乗り合い馬車に乗った。馬車には彼ら6人の他に、4人の人間が乗った。1人は民主主義者、2人は尼、そして4人目は脂肪の塊と綽名された娼婦である。彼女は太っていたが、男好きのするタイプであった。
 馬車は朝早く出発したが、雪道なのでゆっくりと進んだ。予定が大幅にずれて昼になっても途中駅トートの町へは着かなかった。その町で昼食をとる予定であった。時間はどんどん過ぎていくが馬車は遅遅として進まない。一同は異常な空腹感を感じた。とにかく何かを口に入れたかった。そのとき、脂肪の塊がバスケットをあけて弁当を食べ始めた。彼女を除くすべての人間の目がバスケットに集中した。脂肪の塊はみんなにバスケットの中にある食事を与えた。全員、脂肪の塊を讃えた。
 馬車はやっとトートの町に着いた。彼らはほっと一息ついた。温かい夕食にもありついた。出発は翌朝早く出発と決まった。その夜、民主主義者が脂肪の塊に言い寄ったが一蹴された。
 翌日になっても馬車は出発しなかった。馬車には出発の許可が降りなかったのだ。ホテルにいるプロシア軍の司令官はいつまでも許可しなかった。理由は脂肪の塊が司令官の要求を拒絶しているからであった。司令官の要求を最初聞いたとき、9人の仲間は同情し司令官に対して怒りを感じた。ところが、何日も足止めを食う内に彼らは脂肪の塊を説得し始めた。そして徐々に説得が非難に変わり始めた。結局、脂肪の塊は司令官のなぐさみものになった。それは尼さんたちに「目的は手段を選ばず」といわれたからである。6人の上流階級の人間たちが尼さんたちにいわせたのである。翌朝、馬車は無事に出発した。
 上流階級の人間たちは馬車の中では陽気であったが、脂肪の塊はくやしくて涙が自然と流れでた。

 物語の最後では泣き続ける脂肪の塊を横目に民主主義者が革命歌<ラ・マルセイエーズ>を口笛で吹いていた。
 モーパッサンの文学上の師匠であるフローベールはこの物語の最後の描写を象徴的・暗示的なものとして大絶賛したという。
 「脂肪の塊」はとにかくおもしろい名作中の名作である。

 
ギ・ド・モーパッサン「女の一生」(フランス)を読む

 モーパッサンは短編小説の名手だが、長編小説も書いている。モーパッサンは1850年に生まれ、1893年に亡くなっている。43年の短い生涯でモーパッサンは6編の長編小説と300編を超える短編小説を書いている。とにかく多作の作家である。
  モーパッサンの長編小説の代表作といったら「女の一生」である。原題を直訳すると「ある生涯」となるらしいのだが、日本で初めてこの小説を英訳から重訳した広津和郎が「女の一生」と訳して以来、日本ではこの題名が定着している。
 「女の一生」はモーパッサンの文学上の師匠であるフローベールの「ボヴァリー夫人」と並び称されるレアリスム文学の最高傑作だといわれている。レアリスム文学は写実文学ともいわれ、自然主義文学と似たようなものである。
 自然主義文学の巨匠ゾラとモーパッサンは仲が良かったらしい。ゾラは環境によって、人間は不幸になることをリアルに描くが、モーパッサンは環境というよりも女は生まれついて不幸になる運命にあるのではないかと思わせるような描き方をしている。
 初めて「女の一生」を読んだときはやるせない気持になった。「女の一生」が日本ではあまり読まれないのも頷けた。日本の女性は「女の一生」の内容を嫌がるのではないかと思った。
 その後、何回となく「女の一生」を読み直した。その度に私は胸が痛むのを感じた。それでも、読んでから時間を置くと、また、読みたくなるのである。これぞ名作の証ではなかろうか。

 ジャンヌは貴族の娘である。両親の男爵夫妻はやさしかった。何一つ不自由な思いをしたことがなく、男爵夫妻から溢れるばかりの愛情を注がれた。少女の頃、ジャンヌがさみしい思いがしたのは、修道院の寄宿舎に入れられたときである。男爵はジャンヌの将来を考えて、彼女を修道院に入れたのである。
 物語は、ジャンヌが5年間の修道院生活を終えて、男爵夫妻と3人でノルマンディのレ・プープルの家に住むところから始まる。家には、ジャンヌと乳姉妹の召使のロザリがいた。レ・プープルの家は海の近くにあり、豊かな自然に囲まれた楽園みたいなところであった。
 レ・プープルには何人かの貴族が住んでいたが、その1人がジュリアンという若い子爵であった。ジュリアンは両親を亡くしていたが、美男子でやさしかった。ジャンヌとジュリアンは惹き付け合い、男爵夫妻もジュリアンのことが気に入り、2人は結婚した。
 ジュリアンがやさしかったのは、新婚旅行までで、新婚旅行を終えてレ・プープルの家に帰ってくると、ジュリアンは本性を表した。ジュリアンは手のつけられない好色漢であった。新婚旅行から帰ったその日の夜、ジュリアンは召使のロザリに手を出した。ロザリは妊娠し、子を生んだ。その子の父親がジュリアンだとわかると、ジャンヌは気も狂わんばかりになった。ロザリは家を去った。
 ジャンヌも妊娠し、男の子を生んだ。ポールと名づけた。ジャンヌとジュリアンの夫婦関係は冷え切っていた。ジュリアンはこともあろうに、家族同士で親しくしているフールヴィル伯爵の夫人と不倫関係になった。
  ジュリアンと伯爵夫人の関係はフールヴィル伯爵の知るところとなり、2人は濡れ場を伯爵に見られた。逆上した伯爵は誰にもわからないように2人を殺した。
 男爵夫妻も亡くなり、ジャンヌは息子のポールだけが生きがいであった。彼女は息子を溺愛した。ところが、ポールは青年になると、パリに行き、いかがわしい女と一緒になり、ジャンヌにお金を無心し続けた。ジャンヌはほとんど財産を失い、あれだけ愛したレ・プープルの家も手離した。
 ジャンヌの人生は夫と息子に苛めつくされた人生といってもよい。

 「女の一生」には「ささやかな真実」という副題が付いている。

作文道場アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン
1850年 - 1893年。フランス・ノルマンディ地方生まれ?パリ大学法学部在学中に、普仏戦争に召集される。劇作家、詩人。『女の一生』などの作品を残している。
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