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読書感想文
 
魯迅「阿Q正伝」(中国)を読む

 確か、思想家であり文芸評論家の吉本隆明が書いていたと思うのだが、国が劇的に変わるときには偉大な文学者が出てくるらしい。ロシアにおいてはトルストイ・ドストエフスキーが出たし、日本においては夏目漱石・森鴎外が出た。中国においてはと考えると、魯迅が出ている。
 魯迅はもともとは医者を志していた。日本に医学を学ぶために留学したが、魯迅は医者になることをやめ、文学者になることを決意した。理由は、医学では中国人の精神を改善できないと思ったからである。
 魯迅は1881年に生まれ、1936年に亡くなっている。魯迅の生きた時代はまさに激動の時代であった。清の末期から辛亥革命を経て新しい国家が作られたが、軍閥の時代に突きすすんで群雄割拠の状態になり、そして、日本に侵略され始めた。そんな時代であった。魯迅は自分の目でもって、時代の変化を見届けたのである。
 清は満州族に支配された国であった。1911年の辛亥革命によって、表面的には清時代の悪習は排除された。辮髪・纏足そして科挙の制度はなくなったが、はたして中国人の精神は魯迅が望むように改善されたのであろうか。
 魯迅が残した小説は多くはない。ほとんどが短編で、「阿Q正伝」だけが唯一の中編である。どれも当時の中国人の姿を外面的だけでなく、内面的に深く掘り下げたリアリティに富んだ心を打つ秀作である。
 特に、「阿Q正伝」は当時の中国人並びに中国の社会をするどく諷刺した名作中の名作である。私はこの作品に深く感動し、魯迅が偉大な文学者であったことを認識し、中国が近代化されるにおいて魯迅の果たした役割は計り知れないと思った。魯迅の中国人を見る目はきびしく、そしてやさしい。

 阿Qの正確な名前は誰も知らない。阿Qは家がなく、土地神を祭る土地廟に住んでいた。阿Qの生活はほとんどルンペンと変わらなかった。
 阿Qが自分は村の名士の趙(チャオ)家の一族であると吹聴したとき、趙旦那は烈火のごとく怒り、阿Qを殴った。阿Qは馬鹿のくせにプライドだけはもっていた。阿Qは本能とプライドだけで生きていたといってよい。
 ある日、ひげの王(ワン)が肌脱ぎで虱(しらみ)をとっているのにぶつかった。それを見ると、阿Qも体がかゆくなり、ボロの袷を脱いで、自分も虱を取り始めた。王は大きな虱をたくさん取っていたので、阿Qも負けじと大きな虱を取ろうとしたが、小さいものばかりであった。負けずぎらいの阿Qは王に飛びかかって、拳を振り上げた。だが、逆に阿Qは王に辮髪をつかまれて、土塀に連続五回頭をぶつけられた。阿Qにとっては生涯最大の屈辱であった。
 阿Qは独身で、結婚しようと思いたった。すると、趙家で一日米つきをした後、女中に<おめえ、おらと寝ろ、おらと寝ろ!>(竹内好訳)といった。女中は悲鳴をあげて逃げ出した。
 阿Qは村の人間からは虫けらのように扱われたが、あるときから阿Qの地位が向上した。阿Qが城内のただ一人の挙人(科挙の試験に合格した人)の邸で働いたからである。しかし、この状況も長続きはしなかった。
 物語の最後、阿Qは強盗をした罪(実際は無実である)で市中引き回しの上、銃殺された。阿Qは自分が無実の罪で殺されることを知っていても恐怖心を抱かなかった。どこか悟っているようであった。

 阿Qは何の象徴なのであろうか。中国または中国人を象徴しているのであろうか。いずれにしてもこの作品を読んだ中国人は何とかして変わらなければならないと思ったことであろう。それこそ魯迅の意図するものであった。

 
作文道場魯迅(本名は周樹人)
 1881年 - 1936年。浙江省紹興市出身。弟に文学者・日本文化研究者の周作人、生物学者の周建人(1888-1984)がいる。
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