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はじめに
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読書感想文
 
ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」(イギリス)を読む

 ハムレットは孤独な王子であったが、完全な自由人であった。実の父親の亡霊の言葉に縛られながらもハムレットは自分の理性の命じるままに行動したのである。だからこそハムレットは現代においても個性的な人格として燦然と輝いているのだろう。私はハムレットをドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフとよく重ねてみることがある。
 それではマクベスは自由の人であったのであろうか。初めてシェイクスピアの「マクベス」を読んだとき、私はマクベスの行動が理解し難かった、はたして人間は魔女のささやきだけで、簡単に大胆な殺人を犯すことができるのであろうかと、私は「マクベス」に対して疑問を感じた。それほど人間は自由にふるまえるのだろうかとも思った。
 シェイクスピアという作家のすばらしさの1つは、人間の本能を抉り出し、それを描きだすことにある。
 本能のままに行動を起こすか、本能をかくして行動するかは理性によって決まる。ところが、人間は時として本能のままに行動を起こしてしまうこともある。それが人間の自由な行動なのか、それとも本能に縛られた孤独な人間の行動であるかは別にして。
 本能のままに行動したとき、人はだいたい破滅する。だが、本能のままに行動をしたときこそ、人間は人間らしさを発揮するのではないだろうか。やはり、シェイクスピアは本能のままに行動をする姿を描くことで、人間の真実を垣間見させてくれるのである。マクベスはまさにその類の人間であった。
 いまさらいうのもおこがましいが、シェイクスピアは人間を描くことにかけては天才的である。魔女の言葉でもって、大胆な殺人を犯してしまうだろうかと疑問に思っていた私はいつしか、たった1つの言葉でも人は殺人を犯してしまうこともあると思うようになってきた。人間または人間の心理とは複雑で、一筋縄ではいかないものなのである。シェイクスピアは人間の一筋縄でいかない不条理を逃さなかったのである。
 日本の明治の作家たちはほとんどがシェイクスピアに影響されている。彼らはシェイクスピアの作品にでてくる登場人物たちに人間の真実の姿を見たに違いない。マクベスの行動も違和感なく、明治の作家たちは受け入れたに違いない。

 マクベスはスコットランドの優秀な武将である。ダンカン王の信頼も厚い。
 あるとき、マクベスとマクベスの同僚のバンクォーの2人の前に3人の魔女が現れ、マクベスがダンカン王を殺し、マクベスがスコットランド王になることを予言する。この言葉を聞いてマクベスは一笑に付すことができず、かえって悩むことになる。バンクォーはマクベスにダンカン王の殺害をすすめる。また、マクベスの妻もマクベスに王の殺害をすすめた。
 マクベスは意を決して、ダンカン王を殺した。マクベスはスコットランド王になるにはなったが、ダンカン王を殺してからのマクベスは人が変わったように、孤独になり、猜疑心の強い人間へと変わっていった。いつしか、ダンカン王の亡霊を見るようにもなっていった。一番の身内だと思っていたバンクォーを疑いだし、バンクォーも殺した。
 バンクォーを殺してからのマクベスは破滅への道を転げ落ちた。妻も死に、最後はマクベスも殺された。結局、魔女の予言ははずれたのである。

 魔女のささやきは、マクベスの本能の声であったのであろう。その声を聞いてマクベスは行動を起こす。ところが、王を殺したあと、マクベスは孤独な人間となるのである。マクベスに理性が働き、自分が犯した罪と葛藤した結果かもしれない。
 現代でも実際の血は流さないけれども、マクベス的に生きている人はたくさんいる。マクベスの生き方は人間の真実の一面をとらえているのであろう。

 
ウィリアム・シェイクスピア「オセロー」(イギリス)を読む

 嫉妬とはおそろしいものである。嫉妬のためにどれだけの人が人生を棒にふったことか。
 シェイクスピアの「オセロー」を読んだとき、正直、嫉妬とはかくも人を愚かにするものであろうかと考えた。高潔な武将であるオセローが、愛する妻の不義を部下のイアーゴーから聞かされたとき、オセローは逆上し我を失った。オセローは一もニもなく、イアーゴーのことを信じ、妻を呪った。
 「オセロー」はある意味単純といってよいような作品である。私は初めて「オセロー」を読んだとき、嫉妬のことよりもまずこの作品に失望を感じた。この作品のどこがよいのだろうかと悩んだ。その理由はオセローには深刻な悩みがなかったからである。あまりにもオセローは直情径行型の人間に描かれている。武人だからしょうがないのかもしれないが、単純としか思えないような行動である。何者にも代えがたい愛する妻の不義を聞いたとき、まず怒るよりも悩むのが当然ではないのか。その上で、妻の行動を徹底的に調べあげるであろう。
 私にはわからなかった。なぜ、「オセロー」は4大悲劇の1つになったのだろう。
 しかし、やはり「オセロー」は名作中の名作であると思うようになった。シェイクスピアは単純な構図の中に、愛するという悲劇を描こうとしたのではないかと気付いたからである。オセローが単純に行動すればするほど、彼が本当に妻を愛していたということではないのか。愛の不条理といえるものかもしれない。冷静に考えられないくらい、オセローは妻を愛していたということである。
 オセローと妻の究極の愛の形が「オセロー」の主題であると私は思うようになった。

 オセローはベニスの優秀な武将である。オセローはムーア人で黒人ではあるが、その妻のデズデモーナはベニスの最有力の娘であり、おまけに絶世の美人であった。デスデモーナの父親は娘がオセローに嫁ぐことを認めなかったが、娘は父親の反対を押し切って、オセローの妻となったのである。
 オセローは国のために数々の手柄をあげた名武将である。その人格は高潔で、人にはやさしく、特にその妻を非常に愛していた。
 オセローの指揮する軍の旗手にイアーゴーというものがいた。イアーゴーは陰険で嫉妬深い男であった。イアーゴーは副官に任命されなかったことを恨み、オセローに復讐してやろうと企てた。その企てはオセローの妻の不義をでっちあげて、オセローに教えることであった。オセローはサイプライス島に仕事で呼ばれた。オセローは軍を引き連れ、妻もともなってサイプライス島に行った。そこで、イアーゴーはかねてからの計画を実行した。
 オセローはイアーゴーの策略にひっかかり、イアーゴーのいっていることをすっかり信じ、妻を疑った。オセローはイアーゴーのいうなりになり、妻が副官のキャシオーと不義を犯したことを実感する。
 オセローは一方的に妻を責め、そして彼女を殺してしまう。そして自らも喉をさして死んだ。その目からは涙が流れていた。

 シェイクスピアが天才といわれるのは、単純な形式を用いて、実は人間の本質を深く描きだすところにある。
 オセローはイアーゴーから妻の不義を聞かされたとき、妻に対する愛は冷めることなく、ますます燃えさかったのである。オセローが妻を殺すのは、妻を心底愛していたからであった。逆に、妻のデズデモーナも身の潔白を主張しながら死んでいくが、オセローを愛し続けた。
 「オセロー」はお互い深く愛し合った2人の男女の1つの愛の形ともいえる。ただ、それが、すさまじい悲劇だったということである。

作文道場ウィリアム・シェイクスピア
1564 - 1616。イングランド中西部ストラトフォード・オン・エイヴォンに生まれる。20歳頃出馬、初めロンドンで役者、後に座付作者として活躍。エリザベス朝ルネサンス文学の巨星となる。47歳で突如隠退、余生を故郷で送った。(新潮文庫より)
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