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読書感想文
 
松本哉「永井荷風という生き方」を読む

 永井荷風は夏目漱石ほど幅広く読者を獲得してはいないが、数は少ないけれども熱狂的な読者を持つ作家である。私は荷風の大ファンである。私だけでなく、荷風が好きなのは、作品の良さ以上に荷風の生き方に共感するからではないだろうか。
 荷風の生き方を一言でいうならば、何にも囚われることなく自由に生きるということだろう。日本の近代以降の文学者において、荷風ほど自由気ままに飄々と生きたものはいなかったのではないか。
 高等商業付属外国語学校(現在の東京外国語大学)を中退した荷風はすでに文学者として生きていこうと内心決めていた。明治時代、文学者というものは決して人に自慢できる職業ではなかった。どこか日陰者の職業のように思われていた。正業に就けないものがしょうがなくやる仕事とも思われていた。
 荷風は生まれ落ちたときから、自分は日陰の道を歩むことになるだろうと思っていた節があった。それは父親に対するコンプレックスであったかもしれない。荷風の父親は内務省の高級官僚であり、たいへんな金持ちであった。父親は学校を勝手にやめて正業に就かない息子の壮吉(荷風の本名)を思いやり、実業を学ばせようと渡米させた。アメリカに渡った壮吉は横浜正金銀行の事務をやったりしたが、ほとんど遊んで暮らした。その後フランスにどうしても行きたくて父親に頼み、横浜正金銀行のリヨン支店に勤めるという約束でフランスに渡った。しかし、どうしても銀行の仕事が性に合わず、誰に相談することもせず、銀行を辞めてしまった。これには父親は激怒した。
 帰国した荷風は「あめりか物語」「ふらんす物語」の成功により、作家としての不動の地位を築いた。そして、慶応義塾大学の文学部教授になって、「三田文学」の創設に尽力した。荷風は名誉も地位も得たのであるが、慶応義塾大学の教授もまもなくして辞めてしまった。それ以来、荷風は何に縛られることなく信念の赴くままに、たくさんの玄人の女を相手に自由に生きた。荷風は2度結婚している。1度目は親の決めた結婚ですぐに離婚し、2度目は芸者との結婚であったが、これもすぐに破局を迎えた。その後は、数々の妾を抱えたが、結婚はしなかった。

 松本哉の「荷風という生き方」はタイトル通り、荷風の生き方を論じた本である。一読して、著者の松本が荷風の大ファンであることがわかる。松本は作家であるが、荷風の研究者のごとく、荷風に関しては隅々まで調べている。いわゆる評論家の書く荷風ものとは一線を劃していて、興味深く荷風のことを描いている。荷風ものの名著である。
 荷風は小説・随筆をたくさん書いているが、傑作といわれている日記も残している。「断腸亭日乗」は1917(大正6)年9月16日から、死の前日の1959(昭和34)年4月29日まで書き継がれた日記である。この日記は現存していて、松本は日記というより、美術品だといっている。おそらく国宝級の美術品といってよいかもしれない。
 おもに「断腸亭日乗」を参考にして、松本は荷風の生き方を述べている。私がおもしろかったのは、荷風の人間嫌いについて書かれたところである。
 荷風は本当に人間嫌いであったのか。私は、荷風はただ、わずらわしいことを嫌ったのであって、人間そのものを本質的に嫌っていたとは思えない。
 ある新聞記者が荷風にインタビューしようと思い、荷風を追いかけ回し、やっと捕まえて、名刺を渡してから荷風の話を引き出そうとした。荷風は何も語らず、その記者の目の前で渡された名刺を引きちぎったという。私はこの荷風の行為は人間嫌いからきているとは思えない。
 また、有名人である荷風のもとには正月になると、夥しいほどの年賀状が舞い込む。ところが、荷風は見知らぬ人からの年賀状は読みもしないで、ゴミ箱に捨てた。知らない人間に年賀状を送るということが荷風には腹立たしかったのである。これもまともなことだと思う。
 「荷風という生き方」には興味深いことがたくさん載っている。

 荷風の生き方を見ると、現代の日本人が置き忘れてしまった日本人としての尊厳を思い出させてくれる。

作文道場松本哉 (まつもとはじめ)
1943年兵庫県神戸市生まれ。作家・風景画家。神戸大学理学部物理学科卒業後、河出書房新社などで物理・天文の専門書及び啓蒙書の編集に携わったのち、文筆業に、著書に『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(集英社新書)『すみだ川気まま絵図』『荷風極楽』『永井荷風ひとり暮らし』『女たちの荷風』『東京下町散策図』『幸田露伴と明治の東京』などがある。
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