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読書感想文
 
堀辰雄「風立ちぬ(かぜたちぬ)」を読む

 夏の軽井沢には避暑を求めて多くの人が訪れる。真夏の軽井沢のメインストリートはさながら銀座の歩行者天国と化す。
 軽井沢は明治になって外国人が避暑地として利用してから開発が進み、戦前でも避暑地の一等地であった。
 作家と称する人たちも足繁く訪れるようになった。有島武男・芥川龍之介・川端康成など軽井沢と縁が深い作家たちがいるが、作家の中で軽井沢と切っても切れない関係にあるのは何といっても堀辰雄であろう。堀辰雄といったら軽井沢がイメージされるように堀辰雄そのものが軽井沢といっていいくらいである。軽井沢の堀辰雄文学記念館には数多くの堀ファンが訪れるという。

 堀は生涯結核と戦った人である。結核は戦前の日本においてはそれこそ恐ろしい病気で多くの人の命を奪った。日露戦争の時代、戦争で死んだ人よりも結核で死んだ人の方が多いといわれた。正岡子規・樋口一葉・石川啄木の名をあげるまでもなく結核で斃(たお)れた文学者も多い。
 戦後の文学者では吉行淳之介・江藤淳などは若い頃、結核に侵され療養を余儀なくされている。吉行は芥川賞受賞の報告をサナトリウム(療養所)の病室で夜中、看護婦からきかされた。それだけで、新聞記者が殺到することはなかった。芥川賞が現在のように国民的イべントになったのは石原慎太郎以降である。
 江藤淳は軽井沢とは縁が深く、自らその地に別荘をもち、毎年夏はそこで執筆した。したがって江藤淳は著作の中でよく軽井沢に言及した。私が堀辰雄の「風立ちぬ」を手にとったのは江藤淳の軽井沢と堀とのことに言及した著作を読んだからだ。江藤は堀のことを文学者として高く評価していた。

 「風立ちぬ」を初めて読んだとき、私は思い描いていたイメージと全く違っていたことに驚いた。はっきりいって、私には難解な小説であった。文体も読みづらく、主題もはっきり読みとれなかった。とにかくそれまでの日本の作家たちの書いた小説とはかなり趣きが違っていた。以後、私は堀の作品を読むことはなかった。
 だが、今回「風立ちぬ」を読み返して、私はこの作品が文学史に燦然(さんぜん)と輝くまぎれもない名作であると認識した。

 物語では、語り手(主人公)の妻節子が結核の療養のため高原のサナトリウムに春に入院し、その冬彼女が死ぬまでのことと、それから、1年たったあと、主人公が軽井沢を訪れて節子のことを偲ぶことがゆっくり時間が流れるように回想されている。節子の死には直接触れられてはいない。実際に堀の婚約者は結核で死んでいる。そのことがこの物語のベースいなっているのはいうまでもない。
 主人公は節子の病室の隣の部屋に寝泊りして、日々、節子の介護をしながら、節子のはく言葉・動きをみつめている。主人公のその妻を見る見つめ方は自然を慈しむような感じである。節子のはく言葉、ちょっとした動きなどを1つずつ反芻(はんすう)するような書き方である。
 堀の作品はよく、プルースト的、バルザック的、ラディゲ的、スタンダール的などいわゆる西洋(特にフランス)の前衛的な作家の手法をとりいれているといわれる。「風立ちぬ」にも節子が死んだ1年後、主人公はリルケのレクイエム(鎮魂歌)を引用して節子を偲んでいる。
 今回、私は「風立ちぬ」を読んではっとした。それは意匠(いしょう)的には西洋的かもしれないが、この作品はまぎれもなく日本的だということに気付いたからだ。
 主人公は妻の死から1年後、軽井沢にある小屋に住む。軽井沢は主人公と妻とには思い出深い場所である。彼は毎日、小屋の回りを散策する。そして、彼の散策する森・谷などに節子の霊を感ずるのだ。節子は死んだのではなく、霊として軽井沢に生き続けていたのである。
 「風立ちぬ」はポール・バレリーの詩の一句である。主人公は物語の初め、<風立ちぬ、生きめやも>と口ずさむ。<生きめやも>は「生きなければならぬ」という意味である。私はこの一句は節子に対しての思いを込めたものと最初は解釈したが、節子だけでなく、主人公を含めた生きとし生けるものにささげたものだと私は思うようになった。
 終生病魔と戦った堀はかすかな自然の動きにも生に思いをめぐらせたのであろう。
 <風立ちぬ、生きめやも>(風がふいた、さあ、生きなければ)
 何と生命と自然とが一体となった日本的な美しい詩であろうか。

堀辰雄住居跡の案内板

※:写真は、隅田公園内に建っている堀辰雄住居跡の案内板です。

向島にある牛嶋神社

※:写真は、堀辰雄の住居からすぐ傍にある牛嶋神社です。

 
作文道場堀 辰雄(ほり たつお)。
1904年12月28日-1953年5月28日。
第一高等学校、東京帝国大学文学部国文科。東京都出身。
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