数学道場、総合案内
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夏目漱石「こころ」から:文学とは悩みの結晶
文学とは何かと問われた場合、いろいろと答え方はありますが、その一つは<文学とは悩みの結晶だ>ということです。
 人は生きていく上でいろいろと壁にぶち当たり、そのつど悩みます。その悩みが深く、そして普遍性をもつと文学になる可能性があります。世界文学の最高峰といわれるドストエフスキー・トルストイの文学も悩んだ末にできあがったものです。
悩むというのは人間にとって当たり前のことで、誰でもが悩みます。それこそいろいろなことに人間は悩みますが、悩むことは人間を大きく深く成長させます。
 夏目漱石が死んでもうすぐ一世紀たちます。それでも漱石の作品は読み継がれ、それらの作品は色あせることはありません。未来永劫漱石の作品は読まれ続けるでしょう。何故漱石は多くの人に読まれるのでしょうか。それは漱石自身深く悩んだからです。作品は漱石の悩みの跡を赤裸々に残しています。「則天去私」は漱石がたどりついた1つの結論です。しかし、漱石はこの結論を出したあとも悩み続けます。
 漱石の作品を読むと胃が痛くなるようなこともありますが、結局、人間は悩むことから逃れることはできませんし、真摯(しんし)に悩むことが人間の根源的な生き方のようにも思えます。人間は悩むことを避けてはいけないのです。(メルマガ創刊号より)
福沢諭吉「福翁自伝」から:志をもつ
 志をもつことはとても大事です。日本は現在世界でも有数な豊める国になりました。一朝一夕で国は豊かになるものではありません。過去において数々の偉大な人たちが豊かさの土台を作ってくれたからです。
  偉大な人たちは間違いなく志をもっていました。その偉大な人たちのうちの1人である福沢諭吉も志をもっていました。福沢を抜きに現在の日本社会は考えられないくらい福沢は影響力のある人でした。福沢の流れを汲む多くの大企業が現在も活躍しています。
 福沢は幕末に慶応義塾を創立しますが、その塾が目指したものは日本の経済界のリーダーの養成でした。福沢は何度か欧米に視察に出かけ、欧米の豊かさが経済の強さにあり、そしてその経済の強さはいろいろな分野の会社が土台になっているのを見抜いたのです。 福沢の志は、日本を欧米のように豊かな国にすることだったのです。そのためにはすぐれた教育が必要であり、福沢自身教育者のなって多くの人を啓蒙していったのです。福沢の門下からそれこそ数え切れないくらいの実業家が育っていきました。
 人は志があってこそ大きな力を発揮できるのです。(メルマガVol.2より)
数学の楽しさ:高木貞治「数学小景」から
  現代数学といわれているものは抽象的でたいへん難しいものです。特に、トポロジー(位相幾何学)といわれると何が何やらちんぷんかんぷんです。
 ところが、トポロジーといってももとはといえば身の回りにあるささやかな問題をその始まりとしているのです。その問題とはケーニヒスベルクの橋渡しというものです。ケーニヒスベルクにある7つの橋を1回しか渡らずにすべてを渡りきることができるかというものです。町の人たちは必死になって考えましたがわかりませんでした。そこで、偉大なる数学者オイラーに相談したところオイラーは即座にこの問題は解くことが不可能であることを証明しました。この問題は今でいう一筆書きの問題です。一筆書きができるかどうかと考えているうちに、いろいろな理論が付け加わってトポロジーへと発展していったのです。
 ケーニヒスベルクの問題以外にも現代数学の種になったおもしろい問題はたくさんあります。そのような問題から特に興味深い問題を日本の近代数学の発展の土台を築いた数学者の高木貞治がいくつか紹介しています。
 数学の問題は答がでてしまうと味気ないものです。やはり数学の醍醐味は答がでるまで必死にもがき苦しんで問題と悪戦苦闘することにあります。考えて考えて考え抜くと数学のたのしさはわかってくるものです。数学ができることを考える前に数学のたのしさをわかることです。偉大なる数学者は若い頃から考え続けていました。
 みなさんも数学のたのしさをわかりたいのなら、まず手始めに正多面体が5つしかないことを証明してみてください。(メルマガVol.3より)
志賀直哉「暗夜行路」から:<悩み>について
  明治時代の知識人たちを象徴していることの1つは「悩み」です。特に若い知識人たちは生きることに真剣に悩みました。
 「悩み」を小説の形で表現した大知識人は夏目漱石でした。漱石の作品には悩む知識人たちの姿が赤裸々に描かれています。 漱石を慕う学習院の生徒たちの文学集団がありました。白樺派といいました。志賀直哉・武者小路実篤・有島武郎などが中心になって人生における悩みを雑誌「白樺」に告白しました。有島は終生悩み続け、最後は自ら命を絶っています。
 志賀直哉は長ずるに及んで小説の神様と呼ばれるようになりましたが、若い頃は悩み多い人でした。志賀の「暗夜行路」は志賀自身の「悩み」の軌跡をたどった半自伝的な小説です。志賀はこの小説を15年以上の歳月をかけて書き上げています。何度も書き直したようです。
 「暗夜行路」の主人公は時任謙作といいます。謙作は忌まわしい運命を背負って生まれてきました。彼は自分の運命に対して真剣に悩みました。最後に謙作が救いを求めたのは人間ではなく自然でありました。
 「暗夜行路」は「悩みの文学」の最高傑作の1つであるといってよいでしょう。(メルマガVol.4より)
日本初の女医:渡辺淳一「花埋み」から
  現代ではたくさんの女性が医者になっています。女医などという言葉も古臭くなってあまり使われなくなりました。しかし、女性が医者になるにあたっては1人の女性の想像を超えた努力があったのです。その女性とは荻野吟子です。
 日本で最初の女性専用の東京女子医学校(現在の東京女子医大)の創立者である吉岡弥生は女性が医者になる道を切り拓いた功労者として荻野吟子を真っ先にあげています。荻野吟子は国が認めた最初の女医でありました。
 江戸から明治になり、日本政府は西洋医学を正式な医学として認め、医者になるための厳しい条件を設けました。官立の医学校を卒業するか、国の試験(現在の医師国家試験)に合格しなければならなかったのです。だが、それはあくまでも男性の場合で、女性は鼻から医者になる道は閉ざされていました。
 荻野吟子は運命のいたずらから医者になることを志しました。艱難辛苦を経て荻野は見事に医者の資格を得ました。荻野は医者になるだけでなく医者になるための制度も変えたのです。
 渡辺淳一の「花埋み」は荻野吟子の人生を描いた感動的な小説です。この小説を読むと、志をもつことがいかに苦しくそしてすばらしいものかがよくわかります。そしてたいへん勇気づけてもくれます。(メルマガVol.4より)
森鴎外「舞姫」から:医学について
  森鴎外は19歳で当時の医学校を卒業しました。医学校は今の東京大学医学部です。鴎外は東大医学部最年少卒業記録をもっているのです。この記録は未来永劫破られることはないでしょう。
 明治の世になって、明治政府は西洋医学を医学の主流にすることに決めました。さらに西洋医学はドイツ医学を模範とすることにしました。その当時ドイツ医学は世界の最先端をいっていたのです。そのため、医学を志す秀才たちがこぞってドイツに留学しました。医学校を卒業した鴎外もドイツへと留学しました。
 鴎外はドイツの地で一生懸命医学の勉強をし、その合間をぬって文学・歴史の勉強もしました。ドイツ留学中に、鴎外は幕末に長崎伝習所で医学を教えたポンペにも会っています。鴎外の専門は衛生学で、鴎外は衛生についてのおもしろい論文をたくさん発表しています。
 ドイツ留学中に、鴎外の身に起こった大事件は何といってもドイツ娘との恋愛でしょう。鴎外はこのドイツ娘との恋愛に大いに悩みました。ある意味この恋愛が鴎外を文豪の道に導いたといっても過言ではありません。
 鴎外の「舞姫」は鴎外とドイツ娘との恋をベースに鴎外自身の心情を吐露した名作です。(メルマガVol.3より)
谷崎潤一郎「細雪」から:<関西の風土>について
  「春琴抄」「細雪」などの谷崎潤一郎の作品を読んでいると、登場人物たちの使う関西弁に惚れ惚れとしてしまいます。誰でもが谷崎が生粋の関西人であると思い込んでしまうはずです。
 ところが、谷崎は生まれも育ちも東京なのです。江戸っ子の中の江戸っ子といってもよく、日本橋の近くで生まれました。一高・東京帝大に学び、作家として独立してからも東京にいました。 谷崎は関東大震災を機に関西へと移住しました。もともとすばらしい文章の書き手であったのですが、関西に移住してからはその文章力にさらに磨きがかかり、関西移住後、谷崎は数々の名作を書き上げました。「春琴抄」「細雪」は関西で書かれた作品です。
 関西という土地は王朝的なものとハイカラ的なものが渾然一体となったところです。また、大阪は江戸と違って、完全な商人の町でした。大阪は形式ぶらない人間の情緒がむき出しになった町でもありました。このような関西の風土がよほど谷崎の感性になじんだのでしょう。谷崎は気持よく関西で暮らしました。
 関西の風土を措いといて谷崎文学は語れません。「細雪」の姉妹たちは毎年春には京都に花見にでかけます。その花見の描写もたいへん見事です。谷崎は京都を心底愛しました。王朝文学は谷崎文学の原点といってもよいでしょう。
 谷崎の墓は知恩院にあります。 (メルマガVol.5より)
夢を追いかける:湯川秀樹、朝永振一郎
  夢をもつことはすばらしいことです。みなさんもぜひ夢をもってください。ただし、夢をもつということは苦しみも一緒にもつということを忘れないでください。大きな夢をもつ人が魅力的なのは、その人が夢の実現に伴なう大きな苦しみを背負う覚悟があるからです。
 夢をもつことのすばらしさは夢を実現することにあるのではなく、私はその夢を実現する過程にあると思います。どんなに苦しい目にあっても逃げずに夢を追いかける。その原動力は一体どこから湧いてくるのかと思います。
 ノーベル物理学賞を日本人として1番目、2番目に受賞した湯川秀樹と朝永振一郎の著作を読むと、派手さはないけれども彼らがじっと苦しみと孤独に耐えて偉業を達成したことがわかります。何しろ人類史上誰も到達したことのない未知の世界にいくのですから。おそらく寝られない日が続き、起きているときはつねに頭の中は研究のテーマで一杯だったでしょう。研究のしすぎで死んでもかまわないという気持だったでしょう。
 何故彼らはそれほどまでに研究をしたのでしょうか。それは間違いなく名誉や地位のためではありません。ましてノーベル賞をとりたいというためでもありません。彼らは純粋に自然界の真実を暴いてやりたいという欲求でもって動いたのです。真実を知りたいというのは人間の本能的な欲求です。
 本能的な欲求だからこそどんな苦しみにも耐えていけるのです。そしてそのような欲求をもった人は幸福な人だと私は思います。本能的な欲求をもってこうしたいと思うことが夢なのではないのでしょうか。
夢とは<何々のため>というのではなく<何々をしたい>というところからはじまるものではないでしょうか。(メルマガ創刊号より)
正岡子規「病牀六尺」から
  司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が話題になっています。「坂の上の雲」は周知のように秋山好古・真之兄弟を主人公とし、日露戦争を描いた歴史小説です。原作は全8巻からなり、第1巻に正岡子規が登場しますが、第2巻以降正岡子規はほとんど登場しません。ところが正岡子規の存在感は抜群で、子規が「坂の上の雲」の本当の主人公ではなかったかと思えるほどです。
 間違いなく、司馬が最も愛した文人は子規だと思います。司馬は「人々の跫音(あしおと)」という子規の死後養子について扱った随筆を書いています。この本を読むと司馬が子規のことがいかに好きだったかがわかります。
 子規は漱石と同窓で、無二の親友でした。お互いに影響を与えています。子規は20代半ば頃から結核が悪化して、やがて寝たきりの生活になりました。栄養あるものをたくさん食べるのですが、1902年9月に亡くなりました。享年35歳でした。漱石がこの訃に接したのは、ロンドンに留学中のときでした。漱石は遠くヨーロッパの地でつねに子規の健康状態を案じていました。
 子規は俳句の革新運動とか写生文の普及とかを精力的に行いました。寝たきり生活であっても、雑誌「日本」に毎日随筆を発表していました。それらの随筆は「病牀六尺」「仰臥漫録」としてまとめられました。
 子規は漱石の友人らしく非常にユーモアのある人で、結核による激痛に苦しめられながらも軽妙洒脱な文章を書いています。子規は日本新聞社の社員としてこの世を去りました。死ぬ直前の月給が40円であったと本人が書いています。(メルマガVol.6より)
宮脇俊三「時刻表2万キロ」から
  傍から見るとあまり価値のあるものに見えないことでも、本人にとってはこれを達成させねば死ぬに死ねないというものがあります。本来趣味というものはそんなものかもしれません。いや、新しい発見というものは意外と個人の思い入れから起こるのではないでしょうか。
 今のJRがまだ国鉄といわれていた時代(今から約30年前)、1人の雑誌編集者が日本中の国鉄に乗車しました。その人こそ宮脇俊三であります。
宮脇は子供時代からの鉄道ファンでした。時刻表を毎月愛読していました。それだけでなく、実際に列車に乗りました。日本中の国鉄の線区の90%近くを乗車したとき、 100%乗車することを決心しました。残り10%はほとんどが本線から枝分かれしたローカル線です。宮脇は限られた時間を利用して未乗線区を乗車しました。そのとき、勝負になるのが乗り継ぎの良さです。そしてうまく乗り継ぎができるかどうかは時刻表の読解力にかかっていました。時刻表マニアには最高のゲームです。
 日本中の国鉄に乗ることに何の意味があるのかと自問自答しながら宮脇はローカル線を踏破していきました。一見無意味なことでもそれが前人未到の快挙になるとやはり意味のあるものになると「時刻表2万キロ」を読んでつくづくと思いました。 (メルマガVol.6より)
中勘助「銀の匙」から
  幼い頃の思い出は淡く美しいものです。たくさんの作家が幼い頃の回想記を書いています。そのような回想記の中で最も印象深いのが中勘助の「銀の匙」です。
 中勘助は決して有名な作家ではありません。孤高の文士といった感じです。
 中勘助は20代半ばで「銀の匙」を書きます。この作品は夏目漱石の目にとまります。そして漱石はこの作品を激賞します。当時、漱石は朝日新聞の文芸欄の担当記者みたいな仕事もしていたので、「銀の匙」を朝日新聞に連載しました。「銀の匙」は前編・後編から構成されていますが、2編とも朝日新聞に連載されました。
 「銀の匙」には幼い子供の目に写った出来事がみずみずしく描かれています。中勘助のお母さんは病弱で彼ははおばさんの手によって育てられました。幼い中勘助のそばにはいつもやさしいおばさんがいました。
 「銀の匙」の世界と同じような体験をしたことがない人でも「銀の匙」は多くの人の共感を呼ぶはずです。おそらく、「銀の匙」は子供時代の回想記の中では最も多くの人たちに読まれたのではないでしょうか。
 現在もそして未来に向かっても「銀の匙」は永遠に読まれることでしょう。(メルマガVol.7より)
宮本常一「塩の道」から
 戦国時代、敵に追われた武将が命からがら逃げ延びられたのは、敵が知らない塩の道を通ったからだという伝説めいた話が残っています。
塩はいうまでもなく人間にとって重要な栄養素です。海辺の町では塩は焼かれますが、山の中で生活する人たちは簡単に塩を手にいれることができません。そこで、日本中に塩の流通網ができるようになるのです。
 どんな山奥のさみしいところにも塩の道があったそうです。その道を塩を担いだボッカという運搬人が歩いたというのです。
宮本常一の「塩の道」は塩にまつわる話をまとめたものです。塩の道はいうに及ばず、製塩法や土器など話はいろいろな方向へと飛んでいきます。昔の日本人の生活の臭いを実際に嗅ぐような気持にさしてくれます。
 宮本の本は本当におもしろいです。それは宮本が日本全国を隈なく歩き、実際に古老たちからきいた話をベースに語っているからです。
 宮本の本の中に、類型的でない私たちの本当の先祖の姿を見ることができます。 (メルマガVol.12より)
高橋是清自伝から
  日露戦争はかろうじて日本の勝利に終わりました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に見られるように日本海軍・陸軍は総力を結集して戦いに挑みました。軍隊を表の功労者とすると、裏の功労者もたくさんいました。
 周知のように戦争は国と国との戦いです。軍隊と軍隊との戦いだけではありません。日本は大国との一戦を決意しましたが、お金がありませんでした。外国から借りなければ戦費を賄うことができなかったのです。外国から借りるということは外国に日本国債を買ってもらうということです。
 外国に日本国債を売るという非常に重要な任務を任されたのが当時日本銀行副総裁の高橋是清でした。高橋は日本の命運を担って欧米へと旅たちました。最初の頃は、欧米の国は日本がロシアに負けると思って、日本国債を買おうとしませんでした。しかし、高橋の努力が徐々に実って、アメリカで国債を売ることに成功しました。このお金が日本を勝利に導いたことは間違いのないことです。
高橋はこれ以後、トントン拍子に出世していきます。総理大臣まで上り詰めますが、最後は2・26事件において、若手陸軍将校の凶弾によって斃れました。
 日露戦争というと、日本海海戦と同時に、だるまさんみたいな顔をした高橋是清を私はいつも思い出します。(メルマガVol.7より)
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読書感想文アーカイブ
 
ことばを鍛え、教養に厚みと深みが加わります。

 これらの名作は、日本人なら一度は目にしたり、聞いたり、また読んだことがあるものばかりです。これらの作品を熟読することによって、日本の文化・伝統・言葉・風俗に接し日本人としての感受性・情緒が涵養されていきます。
 「思考の整理学」(外山滋比古著、ちくま文庫)の中に欧陽修(昔の中国人)が、文章上達秘訣三か条を三多と唱え、三多とは看多(多くの本を読むこと)、做多(さた)(多くの文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)のことと書かれていました。この文章から現代の上達法と少しも変わらないと思いませんか。
 
読書感想文 アーカイブ(Archives)
 
夏目漱石(なつめそうせき)
坊っちゃん
 漱石の「坊っちゃん」を読んだ。高校生の頃初めて読んでから、今回でもう7、8回は読んだであろう。正直言っておもしろい。何度読んでも、いつ読んでもおもしろいのである。・・・
三四郎
 私は漱石の作品の中で繰り返し読む作品が3つある。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」である。これらの作品は何度読んでもおもしろいし、読むたびに新しい発見がある。・・・
吾輩は猫である
 私は「吾輩は猫である」(以下「猫」と表記)を読むたびに、小説のおもしろさとは何かを考えてしまう。「猫」には筋がないのである。登場人物があれこれと勝手に話をするだけである。・・・
こころ
 私が高校生の頃から文学作品といわれる小説を読み始めてから、最初に、まさに心の底から感動した作品は夏目漱石の「こころ」であった。私の初めての漱石体験は「坊っちゃん」・・・
私の個人主義
 夏目漱石は松山中学で1年間教鞭をとったあと、熊本の第五高等学校へと赴任する。そして、第五高等学校在任中に文部省からイギリス留学を命じられる。行きたくはなかったが、・・・
それから
 夏目漱石の「それから」はその前に書いた「三四郎」のそれからを扱ったものだからという理由でタイトルが決まったらしい。いかにも漱石らしい。
 普通「三四郎」・・・
硝子戸の中
 夏目漱石はイギリス留学から帰国すると本郷区(現文京区)駒込千駄木町に家を構えた。この家には明治36年3月から同39年12月まで住んだ。この家から第一高等学校、・・・

 漱石の「門」は「それから」の次に書かれた作品である。「三四郎」「それから」「門」の3部作のとうびを飾る作品でもある。 「それから」は三四郎のそれからを扱った作品で、「門」は・・・
草枕
 夏目漱石の「草枕」の出だしはたいへん有名である。 <山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通・・・
虞美人草
 漱石の生きていた時代は今とは違って大学教授という地位はとても高いものであった。究極の出世は博士か大臣といわれたもので、原則として博士にならなければ大学教授・・・
夢十夜
 夏目漱石は長編小説ばかりでなく、随筆とも短編小説とも言い難い小品という短い作品も書いている。長編小説を書いている合間にある意味気晴らしのために書いたのかもしれない。・・・
彼岸過迄
 夏目漱石は「門」を執筆したあと、持病の胃潰瘍が悪化し、明治43年8月には修善寺において大量の血を吐き、30分近く仮死状態になった。これは修善寺の大患といわれている。・・・
倫敦塔
 夏目漱石がイギリスに留学中に神経症にかかったことは有名である。「夏目発狂す」ということが、日本ではまことしやかに流布した。留学中、漱石は夜の目も寝ずに読書に励んだ。・・・
行人
 夏目漱石研究の大御所といえば、私はすぐに江藤淳が思い浮かぶ。江藤はいろいろな角度から漱石を分析しているが、その分析の一つに漱石が三兄の妻の登世を恋していた・・・
道草
 夏目漱石は文学史の上では「余裕派」といわれる。私は何故漱石が余裕派といわれるか未だによくわからない。「吾輩は猫である」は風刺的な小説で、余裕をもって世の中を見ているとでも、・・・
明暗
 「明暗」は漱石最後の作品である。完結することなく未完に終わっている。仮りに、「明暗」が完結しても漱石が追求するものに完結はないであろう。螺旋階段のようにぐるぐる廻りながら・・・
文鳥
 夏目漱石の作品に長編小説が多いのは、新聞に連載するのを仕事としている小説記者としては当然のことであったろう。小説記者となって初めての小説「虞美人草」から最後の未完・・・
 
◆ 夏目漱石 写真で巡るゆかりの地→
 
森鴎外(もりおうがい)

 東京都心の郊外の三鷹にある禅林寺には2人の文豪が眠っている。言わずと知れた太宰治と森鴎外である。太宰の命日である6月19日の桜桃忌には大勢の人が訪れる。・・・
高瀬舟
 安楽死は是か非か。この問いには永遠に答えが見つからないのではなかろうか。もちろんこの答えは医者がだすものではない。医者である鴎外もこの問いに対しては答え ・・・
阿部一族
 大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の大葬が行われたこの日、乃木希典(のぎまれすけ)が妻静子とともに自刃した。日本中が震撼した。中でも明治を代表する2人の文豪が ・・・
舞姫
  幕末の長崎海軍伝習所の医官として日本人に西洋医学を教えた人にオランダ人のポンペがいる。ポンペは日本最初の西洋式病院を開設した。その教え子に松本良順がいる。・・・
ヰタ・セクリアリス
 森鴎外は語学が得意であった。私は高校生のとき、先生から鴎外が語学の天才であるとよく聞かされた。鴎外は語学の才能を生かしてたくさんの西洋の文学作品を翻訳して日本に・・・
渋江抽斎
 永井荷風は昭和34年4月、市川の自宅で倒れそのまま帰らぬ人となった。机の上には森鴎外の「渋江抽斎」が置かれていたという。荷風は死ぬ直前まで「渋江抽斎」を読んでいたのである。・・・
山椒大夫
 森鴎外と言えば「山椒大夫」と思い浮かぶくらい「山椒大夫」は有名な小説である。多くの人は子供の頃、聞くか読むかしてその内容は知っているに違いない。
 「山椒大夫」は人買・・・
寒山拾得
 森鴎外はやさしい父親であった。鴎外は家父長的で、家というものを大事にした人だ。娘たちの教育にも熱心で、彼女たちにいろいろな話をしてあげた。鴎外の「寒山拾得」は娘たち・・・
安井夫人
  衝撃的な内容ではないのだが、1度読んだら終生心に残る短編というものはたくさん存在する。私にとってそのような短編の1つが森鴎外の「安井夫人」である。 「安井夫人」は安井息軒と・・・
大塩平八郎
 私が学生の頃、森鴎外の歴史小説を読んだとき、よく理解できなかったせいか、あまりおもしろいとは思わなかった。理解できなかったことは措いといて、おもしろくなかったのは鴎外の・・・
青年
 人は何で生きるのか。この単純にして意味深い疑問を呈するのは若者の1つの特権であろう。年をとってくると、人は何で生きるかを考える以前に生きることに集中して、人生の意味を・・・
桟橋
 1858年の日米通商条約締結の翌年、横浜は開港した。2009年に横浜は開港150周年を迎えた。開港前まで、横浜は単なる寒村に過ぎなかったが、開港してからは急速に発展して・・・
護持院原の敵討
 江戸時代、敵討ちは武士にとって絶対に果たさなければならない義務であった。父親が罪もなく殺されたとき、その息子は父親を殺した敵を成敗しなければならなかった。もし、・・・
   
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森茉莉(もりまり)
父の帽子
 明治の精神を知るには森鴎外を読めと述べたのは永井荷風であった。鴎外は明治の精神そのものであった。明治の精神とは、津波のように押し寄せる西洋の文化を咀嚼し、それでいて日本を ・・・
   
 
島崎藤村(しまざきとうそん)
破戒
 「破戒」を再び読んだ。最初にこの小説を手にとったのは、大学生のときである。そのときは読んだ後、やる方ない憤りを感じた。この日本にこんな非人間的かつ非人道的な因習が、・・・
夜明け前
 「夜明け前」を読むまでは、私は島崎藤村を自然主義文学の1大家としか思っていなかった。だが、「夜明け前」を読んだあとは、藤村は私にとって巨人になったといってよい。・・・
桜の実の熟する時
まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の 林檎(りんご)のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり・・・

 島崎藤村は昭和18年の夏、大磯の別宅で永眠した。戦争も敗色が濃くなりつつあるときであったが、藤村は安らかに人生を終えたのである。この大磯の別宅は現存している。・・・

 「春」は島崎藤村の「破戒」に次ぐ2番目の長編小説である。藤村の21歳のときから25歳までのことを描いている。「春」の次に書かれる長編小説が「家」である。「桜の実の熟する時」「春」「家」・・・
 
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田山花袋(たやまかたい)
田舎教師
 「田舎教師」を初めて読んだのは浪人のときだ。何故か暑い夏の日を覚えている。予備校の帰りのクーラーのきいていない電車の中で「田舎教師」を一心不乱に読んだ。・・・
蒲団
 日本の近代文学を考えるにおいて、私小説なるものを除いて考えることはできない。ある時期、私小説は圧倒的な力をもち、私小説でなければ小説でないといわれた。・・・
 
 
永井荷風(ながいかふう)
あめりか物語
 荷風がフランスに行く目的で、アメリカに滞在したのは明治36年(1903年)から明治40年(1907年)までで、かれが25歳から29歳までのとき・・・
墨東綺譚
 以前、日本に来ている中国人の女性から日本の作家の小説で一番おすすめの作品は何かと問われたとき、私はすかさず永井荷風の「墨東綺譚」と答えた。・・・
つゆのあとさき
 私は世界文学の中で好きな作家を挙げろといわれたらまずモーパッサンを挙げる。モーパッサンの風俗描写に潜む諧謔さ・機知がたまらなく好きである。・・・
すみだ川
 永井荷風が長い西洋の旅(実際には仕事であったのだが)から日本に帰国したのが1908年(明治41年)であった。その頃日本は、日露戦争後で、・・・
腕くらべ
 永井荷風の小説には苦界に身を沈めた女を描いたものが多い。娼婦・芸者などを扱ったもので、荷風の小説が花柳小説といわれるゆえんである。・・・
おかめ笹
 永井荷風の描く世界は広くない。表の社会の影に隠れて生きる女たちを中心に、その回りを男たちが蠢くといった世界である。
 広くない世界・・・
雨瀟瀟
  永井荷風は明治時代までを古きよき時代としている。荷風にとって明治時代は江戸時代の流れを汲む時代であったのであろう。 明治時代を境にして、・・・
二人妻
 永井荷風の小説には喜劇仕立てのものが多い。喜劇的な人間が出てくるというよりも、人間の喜劇性が浮き上がってくるといったものである。・・・
ふらんす物語
 永井荷風は24歳から29歳までの5年間西洋に滞在した。はじめの4年間はアメリカで残りの1年間はフランスである。荷風はもともとフランスに行きたかった・・・
◆ 永井荷風 写真で巡るゆかりの地→
 
松本哉
永井荷風という生き方
  永井荷風は夏目漱石ほど幅広く読者を獲得してはいないが、数は少ないけれども熱狂的な読者を持つ作家である。私は荷風の大ファンである。私だけでなく、荷風が好きなのは、作品の・・・・
   
 
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)
春琴抄
 日本の作家には文豪あまたあれど、大文豪と問われて真っ先にあがるのはやはり谷崎潤一郎ではないだろうか。とにかく圧倒される。・・・
少将滋幹の母
 <東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ>
  菅原道真が太宰府に左遷され、京を去るときに・・・
刺青(しせい)
 処女作がその作家の才能・資質をすべて表しているとよくいわれる。私は谷崎潤一郎の「刺青」を読むたびにこのことを思いだす。「刺青」は谷崎が24歳・・・
痴人の愛
 谷崎潤一郎は悪魔主義者と言われるように、悪魔を描くのがうまかった。谷崎が描いた悪魔の中で最たるものが「痴人の愛」のナオミであろう。・・・
盲目物語
 美というのはどのような人が本当に見ることができるのであろうか。美を実感できるのは逆説ながら目の見えない人ではなかろうかと谷崎潤一郎の・・・
細雪
 谷崎潤一郎の作品を読んでいると、その見事な関西弁によって、谷崎は関西生まれではないかと思ってしまうが、実は、谷崎は日本橋生まれの生粋の・・・
吉野葛
 奈良県吉野といえば日本の歴史の上で何回となく顔を出す。それも歴史が大きく動くときに現れるのである。古くは天智天皇亡き後、天智天皇の弟の大海人皇子と天智天皇の子供の・・・
蓼喰う虫
 谷崎潤一郎の才能を逸早く見出したのは永井荷風である。荷風は谷崎の処女作である「刺青」を激賞した。以来2人の師弟関係ともいえる友情関係は生涯に渡って続いた。・・・
猫と庄造と二人のおんな
 小説をいろいろと読んでいると、ときどき人間のあるべき姿とは何かと思うときがある。人間の理想的な姿というのではなく、何となくすわりのよい姿といった感じのものである。・・・
幼少時代
 小説の登場人物に関西弁を語らせたら、谷崎潤一郎の右に出るものはないといわれるほど、谷崎の関西弁は見事である。それでは谷崎は関西出身かというと、それどころか生粋の・・・
   
 
川端康成(かわばたやすなり)
雪国
 <国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。>
というあまりにも有名な出だしで始まる「雪国」を読んだ。鮮やかな書きだしである。思わず目の前に雪野原の風景が・・・
伊豆の踊子
  川端康成といえば日本で最初にノーベル文学賞を受賞した作家である。受賞理由の1つが日本の美をつねに追求してきたというものだ。川端がノーベル賞受賞後に行った講演の・・・
美しい日本の私
  日本で最初のノーベル文学賞受賞者の川端康成が自ら命を絶ったのは1972年である。その2年前、川端を師と仰いだ三島由紀夫が自刃している。日本を代表する2人の大作家のたて続けの・・・
 
樋口一葉(ひぐちいちよう)
たけくらべ
 樋口一葉が生きていたのは明治5(1872)年から明治29(1896)年までで、わずか24年である。なんとも言い難い。思わず天を仰ぐといった感じか。とにかく一葉の才能が偲ばれる。・・・
   
 
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ
 芥川龍之介というと、すぐ暗いイメージが浮かぶ。坂口安吾は、芥川の死後、芥川の書斎を訪ねたとき、そのあまりの暗さに辟易したという。芥川の晩年の作、「歯車」「河童」・・・
鼻・芋粥
 日本の古典の中で一番おもしろいものといったら私は躊躇なく「今昔物語」をあげる。「今昔物語」は上は天皇家から下は乞食にいたるまで貴賎関係なく種々の人間の実相を描いていて、・・・
地獄変
 作家は芸術家である。当たり前のことだが、実際にどれだけの作家が自分を芸術家だと意識して作品に挑んでいたのであろうか。夏目漱石・森鴎外の作品は芸術作品だと思うが、・・・
藪の中
 芥川龍之介という作家は余程懐疑的な人であったのであろう。文学者の宿命であるといってしまえばそれまでだが、芥川の懐疑性は異常ともいえる。「藪の中」はその懐疑性を表現・・・
   
 
太宰治(だざいおさむ)
津軽
 「津軽」を読んだ。新しい太宰に出会った気がした。私にとって太宰は、苦い思いを伴ったなつかしい作家という感じだ。
 大学時代、日本の作家では私は太宰を一番よく読んだ。 ・・・
惜別
 近代中国の文豪魯迅の本名は周樹人。周は1904年、清の留学生として仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学する。魯迅はもとから作家志望ではなかったのだ。・・・
斜陽
 太平洋戦争中そして戦後になっても太宰治の旺盛な創作意欲は少しも衰えなかった。しかし、戦争中と戦後の作品では作品の調子は大分違う。
 戦争中の作品・・・
走れメロス
  太宰治の友人であった檀一雄は「走れメロス」を読むと熱海事件を思い出したという。太宰は田舎の旅館で執筆することがあった。あるとき、太宰は熱海の旅館で執筆した。ところが、・・・
富嶽百景
  私は毎年12月23日の天皇誕生日を迎えると、天皇陛下がお生まれになった昭和8年12月23日のことをかならず思い出す。 その日は太宰治が長兄に会った日である。太宰は24歳で、・・・
グッド・バイ
 太宰治の友人であった檀一雄は「走れメロス」を読むと熱海事件を思い出したという。 太宰は田舎の旅館で執筆することがあった。あるとき、太宰は熱海の旅館で執筆した。ところが、お金が・・・
 
伊藤左千夫(いとうさちお)
野菊の墓
 江藤淳の畢生(ひっせい)の作品といったらまちがいなく「漱石とその時代」であろう。惜しくもあと少しを残して未完に終わったが。
 私は40歳を過ぎた頃から歴史に興味を持つように・・・
   
 
泉鏡花(いずみきょうか)
高野聖
 名作といわれているものは、それぞれが個性豊かな読みごたえのあるものだが、中にはこれぞまさしく天才の作品だというものがある。さしずめ泉鏡花の「高野聖」はその類の作品 ・・・
婦系図
 <別れろ切れろは芸者のときにいう言葉。私には死ねとおっしゃってくださいな>は、「婦系図」の名セリフである。ただ、このセリフはあくまでも演劇・映画の中だけのもので、・・・
 
 
尾崎紅葉(おざきこうよう)
金色夜叉
 尾崎紅葉の「金色夜叉」のなんといってもすばらしのは、これだけの長編を一気呵成に読ませるストーリー展開である。何度読んでもおもしろい。
 美人の宮と ・・・
   
 
幸田露伴(こうだろはん) 幸田文(こうだあや)
五重塔
 明治30年に、2番目の大学である京都帝国大学が創立された。これにともなって、唯一の大学であった帝国大学の名が東京帝国大学と変わった。京都帝国大学は官吏養成的傾向の ・・・
みそっかす
 明治の文豪といえば、夏目漱石と森鴎外のほかに幸田露伴があがる。露伴は漱石・鴎外のように学歴はなかったが、知識の巨人で、京都帝国大学の教授も勤めたことがある。・・・
 
 
有島武郎(ありしまたけお)
或る女
 有島武郎は複雑な人であると私は思い続けている。今でもそうである。キリスト教に入信し、宗教に否定的になり、そしてキリスト教から離れ、はたまた私有財産を否定し、 ・・・
生れ出づる悩み
 1904年、日露戦争がおこなわれているとき、ロシアの文豪トルストイはロンドン・タイムズ紙上で、「汝、悔い改めよ」と日露両国の首脳に訴えた。その記事を見て感心した人の1人が、 ・・・
 
 
国木田独歩(くにきだどっぽ)
武蔵野・忘れえぬ人々
 国木田独歩は詩人的生き方をしたが、独歩の才能は短編小説において遺憾なく発揮された。独歩は芥川龍之介と並び称される短編の名手である。独歩の短編は哲学的な面もあるが、・・・
   
 
徳富蘆花(とくとみろか)
不如帰
 徳富蘆花といえばいわずと知れた徳富蘇峰の弟である。この兄弟は性格が全く違う。兄の蘇峰は野心満々の人で、民友社を創立し、「国民之友」、「国民新聞」などを発刊し、・・・
黒い目と赤い目
 同志社英学校を創立した新島襄は、明治23(1890)年に神奈川県大磯の旅館百足屋で死去した。この百足屋を紹介したのが徳富蘇峰であった。徳富家と新島との縁は深い。徳富蘇峰・・・
 
 
二葉亭四迷(ふたばていしめい)
浮雲
 二葉亭四迷の本名は長谷川辰之助。落語家のような筆名の由来が“くたばつて仕舞へ”からきているのはつとに有名である。
 四迷はツルゲーネフの「あひびき」などロシア文学の・・・
其面影
 二葉亭四迷は文学が嫌いな文学者であった。世間をあっといわせた「浮雲」を未完で書き終わってから、二葉亭は内閣官職局職員になったり、東京外国語学校や陸軍大学校でロシア語を・・・
平凡
 言文一致体の象徴として崇め奉られている二葉亭四迷の「浮雲」は、その現代性において衝撃的であるが、同じ二葉亭の「平凡」はその滑稽さにおいて衝撃的である。私にとって二葉亭は文豪である。・・・
 
志賀直哉(しがなおや)
暗夜行路
 小説の神様といえば志賀直哉である。漱石も鴎外も小説の神様とはいわれない。彼らは文豪と呼ばれる。
 大学生のとき、「小説の神様」と神格化された・・・
網走まで、清兵衛と瓢箪
 志賀直哉は明治16年(1883年)に生まれ、昭和46年(1971年)に死んだ。88歳の大往生であった。 志賀の文学活動の期間は長かったが、長編小説は「暗夜行路」1作しか書いていない。・・・
和解
 明治時代の最大の公害事件と言ったら渡良瀬川の足尾銅山鉱毒事件であろう。 志賀直哉は18歳のとき、この鉱毒事件の被害者の農民視察旅行に出かけようとしたが、・・・
赤西蠣太
 志賀直哉の小説の題材のほとんどは自分が体験したことである。いわゆる私小説といわれるものが大半である。
 志賀の最高の傑作が「城の崎にて」であることを・・・
小僧の神様
 志賀直哉という作家は生涯において長編小説は「暗夜行路」しか書かなかった。私は若い頃、志賀の作品集を読んでいるとき、志賀の作家としてのキャリアを考えると、長編小説1作・・・
 
 
正岡子規(まさおかしき)
病牀六尺
 司馬遼太郎は私の先生である。もちろん、直接教えてもらったことはないし、謦咳(けいがい)に接したこともない。それでも私の先生なのである。司馬遼太郎自身、<私は先生に・・・
   
 
中島敦(なかじまあつし)
山月記・李陵
 中島敦は33歳という若さで死んだ。夭逝(ようせい)した多くの作家の例にもれず、中島も死後、名声を馳せる。「山月記」は昭和17年に発表され、その年の11月中島は喘息の・・・
   
 
福沢諭吉(ふくざわゆきち)
福翁自伝
 今では学生が学校に授業料を納めるのは当たり前のことである。この行為に対して誰も違和感を覚えない。しかし、福沢諭吉が慶応義塾で初めて生徒から授業料を徴収するまで、・・・
学問のすゝめ
 安政6年(1860年)、福沢諭吉は木村摂津守を艦将、勝海舟を艦長とする咸臨丸に乗ってアメリカに行った。そして、その2年後福沢は幕府の遣欧使節に随行し、ヨーロッパへと・・・
文明論之概略
 文芸評論家の江藤淳は福沢諭吉をたいへん高く評価していた。江藤はいたるところで、福沢について論じている。私が福沢の著作を読むようになったのは、江藤がたびたび福沢に・・・
 
林芙美子(はやしふみこ)
放浪記
 昔は文士といえば貧しいものと相場が決まっていた。その代表格は葛西善蔵であった。葛西は津軽出身で、太宰治の郷里の先輩にあたる。太宰は葛西を尊敬していた。・・・
浮雲
 林芙美子は色紙などに好んで、<花の命は短くて苦しきことのみ多かりし>と書いたらしい。林の人生を振り返ると、この言葉は強く胸を打つ。林が苦しい思いをし・・・
 
 
堀辰雄(ほりたつお)
風立ちぬ
 夏の軽井沢には避暑を求めて多くの人が訪れる。真夏の軽井沢のメインストリートはさながら銀座の歩行者天国と化す。
 軽井沢は明治になって外国人が避暑地として利用・・・
   
 
宇野浩二(うのこうじ)
苦の世界
  文学史の中には、漱石・鴎外ほど華やかではないが、ささやかな光を放って長く読者の心に残っている作家が結構いる。その一人が宇野浩二である。 宇野は1891年に生まれた私小説家・・・
蔵の中
 小説家とは概して貧しいものである。中には、ベストセラーになるような作品をたびたび書いて、金持ちになる小説家もいるが、ベストセラーになる作品はそう書けるものではないし、・・・
 
 
坂口安吾(さかぐちあんご)
二流の人
  戦後まもなく「堕落論」を発表した坂口安吾は一躍時の人となり、文壇の寵児となった。昭和20年から30年に死ぬまでの安吾の活躍はめざましい。安吾は八面六臂・・・
直江山城守
 直江山城守兼続(かねつぐ)の評価は2分されている。家康をも脅かした知将としての評価と腹黒い策謀家としての評価である。
 私は戦国時代の武将の中で一番好きなのは織田信長・・・
日本文化私観
 太宰治・坂口安吾を学生時代にむさぼるように読んだ。この2人の作家に強烈に私は惹かれた。若い私の魂に訴えるものがあったからであろう。太宰と安吾がなぜ人の心を打つのか。・・・
 
菊池寛(きくちかん)
藤十郎の恋
 香川県高松市の市街の中心にある中央公園の入口には大小2つの銅像がたっている。小さい銅像が菊池寛である。中央公園に面した1つの通りは菊池寛通りといい、・・・
忠直卿行状記
 高松市の中央公園に沿って菊池寛通りがある。公園からこの通りを隔てた向かいに菊池寛の生家跡の碑が立っている。菊池寛の生家は貧しかったが、菊池少年はずば抜けた頭脳・・・
 
 
織田作之助(おださくのすけ)
夫婦善哉
 私は仕事で数え切れないくらい新幹線で新大阪駅を通過した。私は何度か新大阪駅で下車して大阪の街を歩いてみたいという欲求にかられたことがある。だが、それも・・・
   
 
下村湖人(しもむらこじん)
次郎物語
 夏目漱石の「坊っちゃん」にしても、島崎藤村の「破戒」にしても主人公は先生であるが、これらの作品は教育小説とは呼ばれない。もし、教育小説というジャンルがあるとすれば、・・・
   
 
山本有三(やまもとゆうぞう)
米百俵
 東大に多数の合格者を出す麻布高校を創立したのは元幕臣の江原素六(えばらそろく)である。司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で<もし江原素六が中学でなく、大学を創立したら福沢諭吉・・・
   
 
勝海舟(かつかいしゅう)
氷川清話
 勝海舟が始めてアメリカに行って帰朝したとき、勝は老中からアメリカについて眼についたところを問われた。<別にありません>と答えたが、あまりにもしつこくたずねるので以下・・・
   
 
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
武士道
 1902年の日英同盟は日本にとっては画期的であった。当時の英国は世界の覇権国であり、超大国であった。その超大国がいくらロシアに対して共通の利害があるからといって、・・・
随想録
 戦前の教育制度では中学は5年制であった。中学の上が高等学校で、高等学校の上が大学であった。旧制の中学が現在の中・高等学校にあたり、旧制の高等学校が現在の・・・
 
 
梶井基次郎(かじいもとじろう)
檸檬・桜の樹の下に
 よく理解できないけれど、なぜか惹きつけられる小説というものがある。さしずめ私にとっては梶井基次郎の小説がこの類の小説である。
 大学生のとき・・・
   
 
内村鑑三(うちむらかんぞう)
代表的日本人
 私が通った小学校には二宮金次郎こと二宮尊徳の銅像があった。あの薪をかついで歩きながら読書している銅像である。小学生の私には銅像の主が何をした人かはわからなかった。・・・
   
 
横光利一(よこみつりいち)
春は馬車に乗って、ナポレオンと田虫
 川端康成の生涯の僚友といったら横光利一である。川端と横光は新感覚派の旗手と称せられる。横光は明治31年(1898年)に生まれ、昭和22年(1947年)に死んだ。・・・
   
 
中村正直(なかむらまさなお)
西国立志編
 中村正直訳の「西国立志編」はサミュエル・スマイルズの「SELF HELP」を翻訳したものである。別名「自助論」ともいう。
 私はこの本を読んで深く感動した。そして50歳・・・
   
 
岡本かの子(おかもとかのこ)
老妓抄
 画家の岡本太郎は鬼才であった。川崎市の生田には岡本太郎美術館がある。岡本太郎の母親が岡本かの子である。かの子の夫すなわち太郎の父親は画家であった。・・・
   
 
小林多喜二(こばやしたきじ)
蟹工船
 北海道小樽が生んだ文学者といえば伊藤整と小林多喜二である。
 伊藤整の作品に「海の見える町」という随筆がある。海の見える町とは小樽のことで、・・・
   
 
柳田国男(やなぎたくにお)
遠野物語
 柳田国男は日本の民俗学を築いた人である。
 柳田が民俗学を築くにあたってはステップがあった。柳田は青年時代は文学に傾倒していた。主に詩を書いていた。・・・
   
 
室生犀星(むろうさいせい)
杏っ子
室生犀星の次の詩はたいへん有名である。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや ・・・
   
 
星新一(ほししんいち)
祖父・小金井良精の記
 東京大学医学部の歴史は神田お玉ヶ池種痘所に始まる。種痘所はシーボルトの弟子の伊東玄朴(げんぼく)が創設したものだ。種痘所は幕府時代は西洋医学所、医学所となり、・・・
明治・父・アメリカ、人民は弱し 官吏は強し
 あまり目立たないけれど、ある研究分野では名を轟かせた大学がある。さしずめ星薬科大学はその1つであろう。
 慶応大学の例・・・
明治の人物誌
 星新一の「明治の人物誌」はその名が示すように明治に生きた10人の人物について書かれたものだ。その10人とは、中村正直・野口英世・岩下清周・伊藤博文・新渡戸稲造・エジソン・・・
 
小泉八雲(こいずみやくも)
小泉八雲集
 ある夜、一人の商人が江戸の紀ノ国坂を歩いていると、濠(ほり)ばたに女が一人うずくまっていた。商人は事情をきこうと思い、女に声をかける。だが女は商人の声には耳をかさず、・・・
   
 
宮本常一(みやもとつねいち)
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む
 私は歴史が好きである。だから幕末・明治維新の歴史的事実なるものはだいたい知っているつもりだ。黒船来航・日米和親条約・日米通商条約・安政の大獄・長州征伐・大政奉還・・・・
忘れられた日本人
 宮本常一は自らの足(あまり乗り物に乗らないで旅をするという意味において)で歩き続けた偉大な民俗学者である。民俗学というと、すぐ柳田国男・折口信夫の大家を思い浮かべるが、実際に実地調査をしたという点では・・・・
塩の道
 私がまだ小学生の低学年の頃、東京近郊の新興住宅街であった私の家の近くにはたくさんの森や林があった。小学生であった私は友達同士で森や林の中で遊んだ。昆虫や木の実を取った。森や林の中には正規な道でない・・・・
民間暦
 日本は明治になるまで、暦は太陽太陰暦なるものを採用していた。これは太陽暦と太陰暦をたして2で割ったような暦である。
 太陽暦とは太陽の動きを中心に考え出された暦であり・・・・
家郷の訓
 現在ではさいたま市になっているが、まだ与野市とよばれていたとき、私は与野市のある町に数年間住んだことがある。その町は、畑・田んぼ・原野などを造成して住宅街にしたような・・・・
 
 
和辻哲郎(わつじてつろう)
古寺巡礼
 仏像を見るといつもあのえもいわれぬ温かな微笑はどこからくるのだろうかと思う。それこそ慈悲の心からくるのだろうか。仏像の目もやさしい。あの目も慈悲の心からくるのか。・・・・
   
 
岡倉天心(おかくらてんしん)
東洋の理想
 1868年の明治維新によって日本は本格的に西洋の文化・文明の吸収に邁進した。それまでの攘夷思想とは一体何であったのか。まして政府の一翼を荷う長州藩は攘夷運動の・・・・
茶の本
 1904年に起きた日露戦争は西洋人の目を東洋の一小国である日本に向けさした。西洋人の誰もが日本がロシアに勝つとは思っていなかった。日露戦争は西洋人にいわせれば、・・・・
 
 
H.シュリーマン(Heinrich Schliemann)
シュリーマン旅行記 清国・日本
 古典落語に「王子の狐」という落語がある。王子にある扇屋という料理屋が舞台で、王子の狐が人間に化かされるという噺である。この扇屋は現在も営業を続けている。・・・・
   
 
子母沢寛(しもざわかん)
勝海舟
 子母沢寛の「勝海舟」は昭和16年10月から戦後の21年12月まで新聞に連載された。私はこの事実を知っていささか驚いた。太平洋戦争の期間が連載期間の中にすっぽり・・・・
   
 
高橋是清(たかはしこれきよ)
高橋是清自伝
 「高橋是清自伝」はたいへんおもしろい。福沢諭吉の「福翁自伝」にも匹敵するおもしろさである。「福翁自伝」と同じく口述筆記されたものである。・・・・
   
 
鈴木大拙(すずきだいせつ)
日本的霊性
 仏教とははたして何であるのか。仏教に関する本がそれこそ夥しいほどに出版されているのは、畢竟仏教とはよくわからないものだからではないだろうか。・・・・
   
 
岡潔(おかきよし)・小林秀雄(こばやしひでお)
春宵十話
 数学者特に大数学者というのはどのような世界に生きているのであろうか。
  フェルマーの大定理が証明されたのは20世紀も・・・・
人間の建設
 私が数学者というものにすこぶる興味をもったのはカントールの集合論を勉強したときである。その内容は衝撃的であった。有理数と無理数の数を較べると、・・・・
 
 
倉田百三(くらたひゃくぞう)
出家とその弟子
 歴史上、一向宗の広まりはすさまじい。織田信長も徳川家康も一向宗徒にはほとほと手を焼いた。一般民衆の大多数が一向宗に帰依した。なぜ現在にいたるまで一向宗は・・・・
愛と認識との出発
 旧制高校といえばエリート集団であった。とりわけ旧制高校の中でもナンバーワンといわれた第一高等学校は超エリート集団であった。ところがエリートゆえに悩んだ一高生も多くいた。・・・・
 
 
佐藤春夫(さとうはるお)
田園の憂鬱
 日本には長らく文壇とよばれた社会があった。いわゆる文学者たちによって構成される村社会である。誰が意図的に作ったというわけではなく、自然発生的にできあがったものである。・・・・
   
 
中勘助(なかかんすけ)
銀の匙
  サンテグジュペリの名作「星の王子様」に、<大人は自分が昔子供であったことを忘れている>というような内容の言葉が出てくる。この言葉は痛切で・・・・
   
 
村井弦斎(むらいげんさい)
食道楽
  それにしても村井弦斎の「食道楽」はすごい小説である。前代未聞というより空前絶後の小説といってよい。何しろ小説と銘打っているが、・・・・
   
 
新島襄(にいじまじょう)
新島襄の手紙
 民間においてある組織が長く存在できるかどうかはその組織を創りあげた人間の理念・哲学に大いに関係がある。特に、会社・学校などは創業者の・・・・
   
 
アーネスト・サトウ
一外交官の見た明治維新
 幕末から明治維新にかけての動乱をつぶさに見た外国人といえば私は躊躇なくアーネスト・サトウをあげる。アーネスト・サトウは日系人みたいな名前であるが生粋のイギリス人・・・・
   
 
原 民喜
夏の花・心願の国
 自殺した作家は多い。芥川龍之介・太宰治・三島由紀夫・川端康成を挙げるまでもない。私はこれらの作家たちの自殺は芸術家の死としてどこか認めているところがある。・・・・
   
 
湯川秀樹
旅人
 湯川秀樹は日本人としてはじめてノーベル賞を受賞した物理学者である。戦後まもなくのこの受賞に接して、敗戦に打ちひしがれた日本国民は異常なまでに歓喜したという。・・・・
   
 
武者小路実篤
愛と死
 伊藤左千夫の「野菊の墓」は哀しい愛の物語で読むものの胸を打つ。「野菊の墓」に劣らず私の胸を打った哀しい愛の物語が武者小路実篤の「愛と死」である。この作品をはじめて・・・・
   
 
朝永振一郎
鏡の中の物理学
 講談社学術文庫の朝永振一郎の「鏡の中の物理学」には3つの一般向けのわかりやすい論文が載っている。論文というよりはお話といった方がいいかもしれない。すなわち・・・・
   
 
高木貞治
数学小景
 大学の理・工学部の教養課程の数学の授業ではかならずといっていいくらい「線形代数学」と「解析学」を学習する。「線形代数学」の内容の中心は行列・行列式で、「解析学」の内容・・・・
   
 
ファラデー
ロウソクの科学
  20世紀の科学の発展はすさまじく、21世紀の今日、科学技術の粋は行き着くところまで行った感がする。人類は宇宙に住むこともできるし、日本にいて世界中の情報をインターネット・・・・
   
 
宮田親平
「科学者の楽園」をつくった男
 横光利一に「微笑」という作品がある。天才少年が新兵器を発明して日本を救ってくれるという話で、その天才少年の笑顔が何とも優雅で可愛いというものである。この天才少年・・・・
   
 
松尾龍之介
長崎蘭学の巨人─志筑忠雄とその時代
 江戸時代の数学を和算という。和算の大家としては関孝和が有名である。和算はある意味高度に発展してその計算技術はある分野において西洋の数学をはるかに超えていた。・・・・
   
 
渡辺淳一
花埋み
 渡辺淳一の「花埋み」は感動的な小説である。この小説は日本で最初の女医になった荻野吟子(ぎんこ)の生涯を描いたものである。 現代では女性が医者になることに何の支障もないが、・・・・
   
 
小林一三
私の生き方
 世の中で大成功、それも歴史に名を残すような成功をおさめる人というのは一般の人とどこが違うのか。誰もが知りたいことである。そのため書店には成功をするためのノウハウ本が・・・・
   
 
山嶋哲盛
日本科学の先駆者高峰譲吉
 夏目漱石の「吾輩は猫である」の主人公の猫が住む家の主人の苦沙弥先生は胃腸の調子が悪い。そのためいつも食事の後は消化薬が欠かせない。苦沙弥先生がいつも愛用している・・・・
   
 
吉永良正
数学・まだこんなことがわからない
 ピタゴラスの時代から数学者を惹き付けてやまなかったのが素数である。ピタゴラス派の人にとって素数は神秘的な数で非常に敬った。素数はたいへんなじみやすい数であるが、・・・・
   
 
宮脇俊三
時刻表2万キロ
 宮脇俊三「時刻表2万キロ」はこれぞ名著といわれる名著である。この本がこれからも未来永劫読み継がれること請け合いだからである。とにかくぞくぞくするようなおもしろい本である。・・・・
   
 
山田済斎
西郷南洲遺訓
 戊辰の役の後の庄内藩は恐怖のどん底にいた。敗軍となった庄内藩は勝利者である薩摩藩からどんな仕打ちを受けるかわからない状態であった。まして、庄内藩は戦争前から薩摩藩の・・・・
   
◆ 西郷隆盛 写真で巡るゆかりの地→
 
立花隆
精神と物質(利根川進共著)
 いつの日か、精神の領域が物質レベルまで下げられて、説明されるのが可能になるのではないか。いい換えると心の中が科学的に読まれる日がくるかもしれないということである。・・・・
小林・益川理論の証明
 2008年のノーベル物理学賞の日本人受賞者は小林誠・益川敏英・南部陽一郎の3氏であった。他に化学賞で下村脩が受賞したので合計4人の日本人が2008年のノーベル賞を受賞した。・・・・
21世紀 知の挑戦
 20世紀は豊かさにおいて最も飛躍した世紀であった。その飛躍の原動力になったのが科学技術の進歩であった。20世紀は科学技術の世紀であったといってもよい。
 19世紀末から準備されて・・・・
 
加藤陽子
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
 沖縄の基地問題は今に始まった問題ではない。戦後一貫して問題になってきた。65年間もの間問題になってきたというのもすごいことだ。この基地問題がこじれると日米同盟にも亀裂が・・・・
   
 
朝河貫一
日本の禍機
 あの太平洋戦争の傷跡は深い。現在でも、戦勝国アメリカと敗戦国日本との間で、沖縄の基地を巡って対立が続いている。
 日本は太平洋戦争で、アメリカを中心とする連合軍と・・・・
   
 
井上ひさし
父と暮らせば
 井上ひさしは、司馬遼太郎と同じように、私にとっては先生のような存在であった。私は井上から多くのことを教わった。特に学んだのは日本語についてである。
 日本語には大きく・・・・
日本語教室
 井上ひさしの創作のモットーは<難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを深く、深いことをおもしろく>である。井上は深刻なこともわかりやすくそしておもしろく書いてくれる。・・・・
 
 
寺田寅彦
科学と科学者のはなし
 戦前の理化学研究所では仁科芳雄・朝永振一郎など日本を代表する科学者が日夜研究に勤しんでいた。その科学者たちに混じって寺田寅彦もいた。
 寺田は物理学者で、・・・・
   
 
池上彰
高校生にわかる「資本論」
 何を今さら「資本論」と思う向きも多いかもしれない。20世紀の末のソ連の崩壊、すなわち共産主義の敗北以後、マルクスの威光は急激にさめていった感がある。だからといってマルクス・・・・
   
 
牧野伸顕
回顧録
 牧野伸顕の「回顧録」は第一級の歴史資料である。おそらく近代日本の歩みを知ろうとしたら避けて通れない本に違いない。
  牧野はあの明治の元勲の大久保利通の次男・・・・
   
 
マイケル・サンデル
これから「正義」の話をしよう
 論理的に話しているのだが説得力のない議論というものが存在する。私はこれを勝手に不毛な議論と呼んでいる。特に、政治家とか経済評論家といわれる人たちがやる議論にこの不毛な・・・・
   
 
イ サンクム
半分のふるさと
  劇作家のつかこうへいが亡くなった。「熱海殺人事件」を読んだときの感動はいまだに忘れられない。 つかこうへいは遺書を残した。それには葬儀一切せず、時期をみて骨は韓国と日本の間・・・・
   
 
杉原幸子・杉原弘樹
杉原千畝物語
 日本は日露戦争において辛うじて勝利したが、財政事情は悲惨そのものであった。日本が大国ロシアとの戦争を決意したとき、多額の戦費を国債を外国に売って賄わなければならない状態で・・・・
   
 
伊波普猷
古琉球
 ここ1年多くの日本人の目が沖縄に向けられてきた。これから沖縄の米軍基地がどうなると思ってのことである。注目を浴びる沖縄であるが、私たち日本人は沖縄についてどれだけのこと・・・・
   
 
石井桃子
ノンちゃん雲に乗る
 鮮明に覚えている子供時代の出来事というものを誰でもがもっているのではなかろうか。不思議なもので年齢を重ねれば重ねるほどその記憶はより鮮明になってくる。・・・・
   
 
渋沢栄一
現代語訳 論語と算盤
 渋沢栄一の偉大さを述べる前に渋沢が慧眼の持ち主であったという話を一つ。
  渋沢が初めて西洋に行ったのは1867年のことである。日本では幕府が崩壊し、・・・・
   
 
森毅
数学的思考
 数学を学習する目標の1つはおそらく数学的思考を身につけることであろう。実は、私は長年大学受験生に数学を教えているのだが、今もって数学的思考とは何かはっきりとはわからない。・・・・
   
 
中村建治
メトロ誕生 地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防
 地下鉄銀座線の銀座駅の改札口を出た地下街の一角にある人物の胸像が建っている。その胸像を説明するプレートは<地下鉄の父>と紹介している。その人物は日本で最初に地下鉄・・・・
山手線誕生
  一流の政治家とは何が何でも自分の信念を押し通すものである。たとえ、独裁者と呼ばれようと、国そして国民のためになると思えば、誰が反対しようとも政策を実行する。 近代の日本が経済発展した理由はたくさん・・・・
 
 
竹中平蔵・榊原英資
絶対こうなる日本経済
 1989年の年末の株価は39,000円近くまで上がりピークに達した。新聞の経済欄ではエコノミスト・経済評論家と言われている人たちが来年は株価はもっと上がると力説した。・・・・
   
 
岩崎夏海
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
  日本のプロ野球やアメリカの大リーグを見てて不思議に思うことがある。選手の戦力は変わらないのに、監督が変わっただけで俄然チームが強くなることがあるからだ。前年度最下位に・・・・
   
 
石光真人
ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書
 1902年に日英同盟が締結された。この同盟には世界がいささか驚いた。英国という大国がアジアの小国日本と同盟したからだ。  英国が日本と同盟を結ぶにあたって、英国が日本の軍隊・・・・
   
 
小平邦彦
怠け数学者の記
 2010年の日本人ノーベル賞受賞者は鈴木章・根岸英一の両氏に決まった。たいへん喜ばしいことである。これで日本人のノーベル賞受賞者の総数は17人になった。ただ、その17人の中で・・・・
   
 
小林秀雄
考えるヒント
 坂口安吾に「教祖の文学」という随筆がある。その冒頭、小林秀雄が酒を飲んで泥酔状態になり、水道橋駅のプラットフォームから線路に落ちたことや、上越線の列車をプラットフォーム側とは・・・・
モオツァルト・無常という事
 鎌倉駅から小町通りに入って少し行った左手のビルの2階に天ぷら屋「ひろみ」がある。「ひろみ」はカウンター席と7つばかりのテーブル席のある普通の天ぷら屋であるが、知る人ぞ知る有名・・・・
 
 
坂野潤治
明治デモクラシー
 戦前というと条件反射的に暗黒の時代であったというイメージが浮かぶ。これはどうしようもないことである。私が小さい頃に受けた教育がそうさせるのである。私は戦前の日本は・・・・
   
 
伊藤氏貴
奇跡の教室
 灘校といえば誰もが知る名門中の名門である中高一貫教育の学校である。東大合格者は長い間1位で、ほとんどの生徒が東大か京大か国立の医学部に行く。
  灘校は神戸にある私立・・・・
   
 
清水幾太郎
日本よ 国家たれ 核の選択
 1990年のバブル崩壊以後日本の国力は落ち続けている。21世紀になっても止まることなく落ち続け、2011年を迎えていよいよ日本も滅びるのではないかという声さえ聞こえはじめた。・・・・
   
 
江藤淳
南洲残影
 1877年の西南戦争は哀しい戦争であった。なぜ哀しいのか。この戦争はやる前から勝敗がわかっていたからである。戦費・戦力において西郷隆盛率いる薩軍は官軍とは較べものに・・・・
閉ざされた言語空間
 日本のテレビ・新聞などを中心としたマスコミ報道にはいつも違和感を覚えるし、ときには腹立たしさを感じる。はっきりとした理念も主張もなくやたらに政府非難を繰り返すだけで、・・・・
海は甦える
 先の大戦では、日本の陸軍・海軍が計画した無謀な作戦によって、日本は散々な負けを喫っし、そして、日本人のほとんどが塗炭の苦しみに喘いだ。戦前の陸軍・海軍に対しては・・・・
◆ 西郷隆盛 写真で巡るゆかりの地→
 
新田次郎
八甲田山死の彷徨
 日本とロシアの緊張は幕末から続いており、1904年の日露戦争でピークに達した。20世紀になると日本はロシアとの戦争を本気になって考え始めた。
 もし、日本とロシアが・・・・
   
 
杉本鉞子
武士の娘
 明治の世になって、日本人は海外に出ていくようになった。欧米人にとっては開国して間もない日本は未知の国というよりも野蛮の国であった。ところが、日本人に出会った多くの欧米人・・・・
   
 
福地源一郎
幕末政治家
 幕末の幕臣で非常に英語ができたのが福沢諭吉と福地源一郎である。特に、福地の英語力はたいしたもので、福地は幕末の騒乱期に翻訳家・通訳として幕政を支えた。福地の英語の・・・・
   
 
三浦綾子
矢島楫子伝 われ弱ければ
 福沢諭吉・新島襄・新渡戸稲造などの例をだすまでもなく、いい教育をするには教育者自身が優れていなければならない。教育の問題とは生徒やシステムの問題ではなく、・・・・
塩狩峠
 明治になって、それまで禁教であったキリスト教を信仰することが可能になった。俄かにキリスト教を信じる人が増えてきたのであるが、彼らは世間の偏見の目にさらされた。キリスト教徒・・・・
 
 
シュミット村木眞寿美
クーデンホーフ光子の手記
 私は日本の歴史においては明治時代が一番興味が湧く。明治時代とは江戸時代と近代とがせめぎ合いながら渾然一体となった時代である。古いものを壊しそして残しながら新しいもの・・・・
   
 
今泉みね
名ごりの夢 蘭医桂川家に生れて
 1860年、咸臨丸は江戸からサンフランシスコまで自力で航海した。たいへんな快挙だった。咸臨丸に乗る使節の代表は勝海舟だと思いきや、勝は船長であり、正真正銘の代表は軍艦奉行・・・・
   
 
須賀敦子
遠い朝の本たち
 思春期に読んだ本というものは特別で一生忘れられないものである。私は中学生までは本をまったく読まず、高校生になって俄然読み出した。学校まで電車通学であったので、行き帰りの・・・・
   
 
瀧井一博
伊藤博文 知の政治家
 伊藤博文に対して、大方の日本人はどのようなイメージをもっているのだろうか。2009年は伊藤没後100年であったが、目立った催し物は何も行われず、伊藤に関しての本が出版された・・・・
   
◆ 伊藤博文の 写真で巡るゆかりの地→
 
澤地久枝
火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件
 大日本帝国陸軍史上最悪の兵士の反乱は2・26事件だと思っていたが、刑死者がそれを上回る反乱があった。竹橋事件である。
  高等学校で学習する日本史の教科書では、竹橋事件の・・・・
妻たちの二・二六事件
 
  いつの間にか、日本では歴史を論ずるものは良し悪しを判定する審判になったようだ。 歴史的事実を前にして、これは悪だと判定することが歴史の直視に繋がるのであろうか。・・・・
 
 
森 銑三
新編明治人物夜話
  「好色一代男」「好色一代女」「好色五人女」「西鶴諸国ばなし」「本朝二十不孝」「日本永代蔵」「世間胸算用」「万の文反古」「西鶴置土産」などなどの作品は井原西鶴が書いたことになって・・・・
   
 
山川菊栄
武家の女性
  幕末の主人公は薩摩・長州藩ではあるが、影の主人公は水戸藩であろう。最後の将軍一橋慶喜は烈公と呼ばれた水戸藩主徳川斉昭の子であり、桜田門外の変を起こしたのは水戸藩士・・・・
   
 
山中伸弥 益川敏英
「大発見」の思考法
  iPS細胞は夢のような細胞である。iPS細胞は人工多能性幹細胞といい、この細胞から人間のあらゆる器官を作りだすことができる。人の皮膚の細胞から腎臓・肝臓などができることに・・・・
   
 
杉森久英
大風呂敷
 戦前の政治家の中で最も人気のあったのはやはり後藤新平であろう。後藤がなぜ国民的人気があったのか。まず挙げられるのが後藤が薩長藩出身でなく、朝敵であった東北の藩の・・・・
   
 
半藤一利
昭和史 1926→1945
 司馬遼太郎は昭和を舞台にした小説は1作たりとも書かなかった。いや、書けなかったのであろう。司馬の近代を扱った小説は年代的には日露戦争を材にした「坂の上の雲」で終わっている。・・・・
   
 
松本清張
或る「小倉日記」伝
 1899(明治32)年、森鴎外は小倉の第12師団軍医部長に任ぜられ、小倉に住むことになった。この人事は左遷だといわれている。  鴎外は19歳で東京大学の医学部を卒業すると、西周の・・・・
   
 
黒木靖夫
大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた
 とにかく20世紀のソニーはすごかった。世界でも一流の中の一流の企業であった。ソニーは世界屈指のブランドであり、ソニー製品をもつことが1つのステータスであった。アメリカ人の中には・・・・
   
 
垣添忠生
悲しみの中にいる、あなたへの処方箋
 東日本大震災によって多くの人たちが亡くなられた。ご冥福を祈るばかりである。
 さて、世はこぞって<がんばろう>の大合唱である。これから復興していく東北の・・・・
   
 
舟橋聖一
絵島生島
 駒込駅近くに六義園(りくぎえん)という庭園がある。この庭園は江戸時代、小石川の後楽園とともに二大庭園といわれた、たいへん広く美しい庭園である。六義園は柳沢吉保が五代将軍・・・・
花の生涯
 以前、横浜の掃部山(かもんやま)公園に行ったとき、いささか驚いたことがある。その公園には何と井伊直弼の銅像が建っていたのである。考えてみると、公園の名前である掃部山は・・・・
 
 
陳舜臣
青山一髪 孫文起つ 辛亥への道
 2011年は中国の辛亥革命からちょうど100年目に当たる。辛亥革命によって清は亡び、中華民国が誕生した。 辛亥革命の指導者が孫文である。孫文は、日本の教科書には三民主義・・・・
   
 
黒川 創
きれいな風貌 西村伊作伝
 お茶の水駅からすぐの駿河台にはいろいろな学校がある。明治大学・駿台予備校・アテネフランスなどに混じって、2階建ての古めかしい門をもつ文化学院がある。門を通り抜けると・・・・
   
 
ジョン・キャスティ
20世紀を動かした五つの大定理
 数学の定理の中で最も有名なのはピタゴラスの定理であろう。ピタゴラスの定理は別名三平方の定理ともいう。この定理は数学に興味のない人でも知っているのではないか。・・・・
プリンストン高等研究所物語
 プリンストン高等研究所は世界最高の頭脳が集まる研究所として有名である。相対性理論のアインシュタインもこの研究所の教授であった。教授といっても授業はしない。・・・・
 
 
江沢 洋
理科が危ない 明日のために
 東日本大震災以来、原子力発電に対する非難はすさまじい。連日、原子力発電と放射能のことがニュースの中心になっている。
  今や、原子力発電が日本人の最大の関心事・・・・
   
 
水村美苗
日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で
  私はノーベル文学賞に対して長らく疑問に思っていることがある。日本人ノーベル文学賞受賞者である川端康成・大江健三郎の作品は素晴らしく、文学賞を受賞してもおかしいとは・・・・
   
 
外山滋比古
思考の整理学
  3月11日に東日本大震災が起こってから、4ヶ月近くたっても、未だに福島原発事故がいつ終息するかがわからない。日がたつうちに事態が好転しているのならともかく、事態がよく・・・・
   
 
猪瀬直樹
黒船の世紀
 近代の日本において、社会システムが劇的に変化するときにはかならずその裏にはアメリカの存在があった。第一は1853年のペリー艦隊であり、第二は1945年のは敗戦である。・・・・
昭和16年夏の敗戦
 猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」は衝撃的な本である。この本は日本人の太平洋史観を根底から覆すものかもしれない。日米戦争は昭和16年夏の段階で、日本が必ず負けると論理的に・・・・
 
 
池井戸潤
下町ロケット
 新卒大学生の就職状況が悲惨である。しかし、内容をよく吟味すれば、大企業への就職は厳しいが、中小企業など、会社の規模を選ばなければ、就職はそんなに難しいことでは・・・・
   
 
三島由紀夫
午後の曳航
  幕末から日本が近代化に進み始めるにあたって、横浜の果たした役割は重要だった。横浜は世界と繋ぐ日本の表玄関であった。誰しもが、西洋に行ったり、西洋から来たりする・・・・
宴のあと
  三島由紀夫はいろいろな面をもった作家である。ときには熱狂的な愛国者になり、ときには哲学者ばりの観念家になり、あるときはスポーツマンになったりするし、役者にもなる。・・・・
豊饒の海 第1巻 春の雪
  三島由紀夫は太宰治のことを嫌っていた。その理由の1つが、太宰の作品における貴族の描写がおそまつであるというものである。この作品とは「斜陽」を指している。田舎の・・・・
豊饒の海 第二巻 奔馬
  時代が江戸から明治になってしばらくの間、西日本では士族の反乱が続発した。1874年には佐賀県の佐賀の乱、1876年には熊本県の神風連の乱・福岡県の秋月の乱・山口県の・・・・
豊饒の海 第三巻 暁の寺
  三島由紀夫の長編四部作「豊饒の海」は輪廻転生をテーマにした小説である。輪廻はこの世に生まれ変わるという意味の仏教の言葉である。「生まれ変わったら〜したい」と・・・・
豊饒の海 第四巻 天人五衰
  衆生はそれぞれの業によって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界に住むという。輪廻によって、これらの世界を巡るのである。  六道の最高の位にある・・・・
若きサムライのために
  中国・韓国との領土問題に日本は揺れている。特に、中国はいろいろと汚い手で日本に嫌がらせをしてくる。日本政府は中国とは領土問題は存在しないという公式的な声明を発して・・・・
   
 
大佛次郎
霧笛
 幕末に横浜が開港されると、横浜は外国人居留地となった。居留地の中は治外法権で、日本人は自由に居留地に入ることができなかった。居留地に入るためには関所を通ら・・・・
   
 
渡辺京二
逝きし世の面影
 永井荷風は明治・大正・昭和と生きた作家であるが、終生、江戸時代を偲んでいた。荷風にとって江戸時代とは生きるよすがであったのだ。荷風は大正・昭和の時代を徹底的に憎んだ。・・・・
   
 
坪内稔典
子規のココア・漱石のカステラ
 夏目漱石は小説家であったが、俳人でもあった。漱石が俳句を作り始めたのは、松山中学で英語の教師をしているときである。
  漱石は二階建ての家を下宿として借りていた。・・・・
   
 
三上義夫 佐々木力
文化史上より見たる日本の数学
  幕末、幕府の長崎海軍伝習所で教官になったのが、オランダ人のカッテンディーケである。教え子の一人が勝海舟であった。  伝習所では主に航海術・砲術・測量術などが教えら・・・・
   
 
三谷太一郎
中公バックス 吉野作造 民本主義論ほか
 近頃の政治家はやたらと民意を気にする。民意を全うするのが政治家の仕事と考えているらしい。そのため、支持率というものを常に気にする。支持率を上げるために政治活動を・・・・
   
 
司馬遼太郎
殉死
 乃木希典(まれすけ)とは一体何者であろうか。日露戦争の際、203高地を攻略するために6万人近い軍人の命を失わしめた陸軍大将である。太平洋戦争中、陸軍の兵隊であった司馬・・・・
   
 
高橋洋一
数学を知らずに経済を語るな!
 現在、政界で不思議なことが起こっている。というより、ある意味、日本の統治機構の真の姿を曝け出しているのかもしれない。  ここ菅・野田と2代続いた総理大臣が消費税増税を強く・・・・
   
 
井上 靖
風濤(ふうとう)
 朝鮮半島は歴史上、中国の影響を多大に受けてきた。中国の政治体制が朝鮮半島の運命を決定したといってよい。朝鮮はつねに中国の属国で、近代以前は中国と朝鮮は一度たり・・・・
孔子
 キリスト教においては、キリストその人について言及されることが多いが、儒教においては、その始祖の孔子について語られることはあまりない。キリスト教の普及はキリスト・・・・
しろばんば
 年をとればとるほど、幼い頃、特に少年期の頃がなつかしく思い出される。なぜ、少年期の記憶というものは鮮やかに思い出されるのであろうか。それは、回りの環境を素直に、・・・・
夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)
 現在、中学高校の6年間の一貫教育が見直されている。有名な私立学校ではほとんどが中高一貫教育である。中高一貫にすると余裕をもって教育できるからであろう。何も中高・・・・
北の海
 現在の中等教育とは中学・高校の教育をいう。戦前は中等教育といえば中学の教育のみをさした。戦前の中学は5年制であったが、優秀な生徒は4年生のときに試験に合格すれば、・・・・
 
 
徳田秋声
縮図(しゅくず)
 尾崎紅葉にはたくさんの門下がいた。代表的なのが、泉鏡花・小栗風葉・柳川春葉そして徳田秋声である。この4人は紅門の四天王と称された。 鏡花と秋声は同じく金沢市出身で、・・・・
   
 
坪内逍遥
当世書生気質
 日本の近代文学は坪内逍遥から始まったといわれている。これはほぼ文学史の定説となっている。坪内は日本で初めて文学士になった人でもある。学士というのは大学を卒業した・・・・
   
 
山本周五郎
栄花物語
 江戸時代について、歴史の教科書で大々的に扱うのが、いわゆる三大改革なるものである。すなわち、徳川吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革で・・・・
正雪記
 由井正雪は歴史の教科書では、幕府転覆を企んだ悪名高い男として記述されている。正雪が起こした事件は慶安事件と呼ばれるが、一般には、由井正雪の乱といわれる。実際に、・・・・
赤ひげ診療譚
 徳川幕府八代将軍徳川吉宗は名君の誉れが高い。大岡忠相を江戸町奉行に登用して数々の善政を行った。その一つが小石川療養所の設置である。江戸時代にはむろん今日のような・・・・
天地静大
 幕末、経済的に商人は莫大な力をつけ、逆に武士は力を失った。商人の中から、すぐれた実業家が生まれ、数々の企業を起こし、その後の日本の発展の土台となった。商人の力は・・・・
樅ノ木は残った
 山本周五郎という作家は、権威・権力というものに猜疑の目を向けていた。周五郎は直木賞を辞退している。理由は、「私は賞を貰うために小説を書いているわけではない」という・・・・
 
 
久米正雄
受験生の手記
 早稲田にある夏目漱石の家では、毎週木曜日になると門下生が集まり、漱石を囲んで四方山話をした。この会のことを木曜会という。漱石の最晩年に、木曜会にきたのが芥川龍之介で、・・・・
   
 
高山樗牛
瀧口入道
 とにかく森鴎外の博学多才ぶりは度を超えていた。鴎外と論争をするものは稀で、たまに文学界の大御所の坪内逍遥がした。有名な没理想論争である。これとても鴎外の圧勝という感じ・・・・
   
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