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読書感想文
 
猪瀬直樹「黒船の世紀 あの頃は、アメリカは仮想敵国だった」を読む

 近代の日本において、社会システムが劇的に変化するときにはかならずその裏にはアメリカの存在があった。第一は1853年のペリー艦隊であり、第二は1945年のは敗戦である。
 第一次大戦後、国際連盟の常任理事国並びに世界の5大国まで登り詰めた日本は、太平洋戦争において完膚無きまでに打ちのめされた。その後の日本はアメリカの意向を無視することができずに、それが現在まで続いている。
 明治・大正においても日本にとってアメリカはたいへん関係の深い国であるにも関わらず、歴史教科書にはこの2国間の関係史の記述はほとんどない。アメリカは日本が満州事変を起こした頃から日本を敵視し、そして太平洋戦争に繋がったと、私は漠然と思っていた。関東軍作戦参謀の石原莞爾が「世界最終戦争論」で、最後は日本とアメリカが激突するといっても、私にはあまりピンとこなかった。
 ところが、猪瀬直樹の「黒船の世紀 あの頃、アメリカは仮想敵国だった」を読んで、私は自分の無知を認識せざるを得なかった。とにかく、この本は衝撃的であった。
 日本とアメリカは日露戦争後、お互いに相手を仮想敵国として鎬を削ってきた。太平洋戦争はやはり石原の予想したとおり、最終戦争であったのだ。
 日本についていえば、アメリカを仮想敵国として俄然意識するのは、日露戦争後であることは確かであるが、アメリカについていえば、実は、ペリーが日本に来たときから日本を征服しようと意図していた節が見受けられる。終戦直後、アメリカのミズーリ艦上で、大日本帝国の降伏文書調印式が行われたとき、艦上にはペリーの艦船にあった星条旗が翻っていたという。ペリー来航から約100年を経て、アメリカは日本を制圧したのである。

 「黒船の世紀」は日露戦争後の日本・アメリカ・イギリスで出版された「日米未来戦記」を扱った本について詳しく記述したものである。膨大な資料が駆使されている。
 日露戦争後、アメリカは正式に日本を仮想敵国と規定し、オレンジプランをたてた。日露戦争に勝った日本はそれまでの仮想敵国であったロシアに対する恐怖がなくなり、代わってアメリカを仮想敵国にした。これらはあくまでも国レベルの政策であるが、民間においては、日米戦争が現実味を帯びてきた。日米戦争に関する本が熱狂的に日本国民に受け入れられたのである。その皮切りになったのが、水野広徳の「次の一戦」である。
 水野は海軍大佐にまでなった軍人であったが、日露戦争に従軍し、戦後、「この一戦」で日露戦争を克明に描いた。「次の一戦」は日本とアメリカが戦争をする話である。その内容は、最終的には、日本がアメリカに負けるというものであるが、水野はこの本で、だから軍備を増強せよといいたかったのである。
 水野は第一次大戦中、イギリスに行き、実際に空爆を体験している。また、ドイツにも行って、ドイツの過酷な状況を目撃した。これらの経験が水野の戦争観を一変させた。これからの戦争は想像を超えた悲惨なものになると水野は考え、戦争はすべきでないと結論付けた。水野は反戦主義者になったのである。
 水野に続いてたくさんの作家たちが「日米未来戦記」を書いた。数百種類の本が出版されたという。どれも日本が勝つものばかりで、日本人の心に、アメリカと戦っても勝てるという気持ちを植えつけた。
 アメリカ・イギリスでも様々の「日米未来戦記」の本が出版された。中には日本が勝つというものもあるが、ほとんどはアメリカが勝つというものである。日本の軍人たちはこれらの本をかなり参考にした。特に、イギリス人が書いた「太平洋大戦争」は実際の日米戦争に迫る実にリアリティに富んだ作品であった。

 私はこの本を読んで複雑な気持ちになった。先の日米戦争は軍部主導で行われたと思っていたのであるが、戦争遂行の真犯人は日本国民ではなかったと思わざるを得ない。その国民を煽ったのがマスコミであった。東条英機は日米戦争に躊躇したが、そのときの雰囲気がそうさせなかった。
 戦争の責任を軍部だけに押し付けていては、あの戦争の本質は絶対に見えてこない。

 
猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」を読む

 猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」は衝撃的な本である。この本は日本人の太平洋史観を根底から覆すものかもしれない。日米戦争は昭和16年夏の段階で、日本が必ず負けると論理的に証明された。
 昭和16年4月に、官僚・軍部・民間から30代の若手エリートを結集した総力戦研究所が設立された。この研究所では、日米が戦った場合の考えられるだけの想定のもと、シミュレーションを行い、結果として、日本はアメリカに必ず負けると結論付けた。驚くべきことにこのシミュレーションは、実際の太平洋戦争に照らしてみて、原爆投下以外ほとんど正確であったということである。
 東條はこの結果を陸軍大臣としてきいている。昭和16年10月16日に第3次近衛内閣が総辞職したあと、大方の予想に反して東條に組閣の大命が下った。その理由は、陸軍に睨みのきく東條ならば、日米戦争を回避できるのではないかと、天皇がひそかに思ったからだ。天皇はあきらかに日米が戦うことを嫌った。
 総力戦研究所のシミュレーションの結果と天皇の意向があっても、東條は日米開戦を決断しなければならなかった。本当は東條は日米戦争はしたくなかったのである。日本の歴史教科書では、東條を戦争推進者として断罪しているが、陸軍大臣のときはあきらかに、東條は日米開戦を推進した人間であったが、総理大臣としての東條は日米開戦をしたくなかったのである。東條は天皇の臣下としての気持が強く、天皇の意向は絶対であった。その天皇の意向を無視しても東條は戦争を決断しなければならなかった。なぜか。空気が戦争回避を許さなかったのである。日米開戦は日本人ほとんど全員の総意であり、何人(なんびと)たりとも、戦争を回避できなかった。太平洋戦争を振り返る場合、この空気が何よりも重要である。
 私たちは、太平洋戦争は軍部が独裁的に推進し、国民は被害者であったと教えられてきた。戦後の日本は軍部ただ一人を悪者にして、あの戦争を総括しようとした。結局、なぜあのような戦争が起きたかの本質的なものは見えないままである。日米戦争やむなしの空気を醸しだしたのはほかならぬ日本国民である。ほとんどの日本人は日米戦争を望んでいたのである。もし、あの戦争を犯した犯人を挙げろといったら、間違いなく日本国民もあがるであろう。軍部は国民の期待に背中を押されて、無謀な戦争へと突進していったのである。
 日本では組織の行動を決定するのは論理ではなく、空気であるらしい。私は「昭和16年夏の敗戦」を読んで、はからずも今回の東日本大震災の福島原発の事故に思い至った。
 事故が起こるまで、日本の原子力行政・原子力学会などでは、原子力発電は安全ではないといったら、総すかんを食うどころか、学者なら、学者の道を放棄しなければならなくなった。誰もが、原子力発電は安全だと確信し、安全だという空気がすべてを支配していた。その空気を先頭的に醸しだしてきたのが、経済産業省である。批判できない議論など議論にならない。原子力に関しての政府・学会の議論はほとんどこの類の議論である。
 ところが事故が起きるや、政府がやったことは、東電一人を悪者にするだけである。一体経済産業省の罪はどうなっているのか。東電は経済産業省の指導のもとで、原発を運営してきたのではないのか。太平洋戦争の罪を軍部一人にかぶせる構図と全く同じでないのか。許し難いのは、福島県知事である。福島県は原発を誘致することで、政府・東電からかなりの便宜を得ているのに、県知事は東電一人だけを執拗に悪者扱いにする。原発を誘致するには、県知事の了承が必要であり、了承した県知事にはたいへんな責任があるのではないのか。
 結局、何か事があると、全体を見ずに、一部だけに責任を負わせることになる。これでは何の解決にもならない。歴史は鑑(かがみ)であるとはよくいったものである。歴史を徹底的に知ることがまず必要である。せっかく、太平洋戦争という重要な歴史的事実があるのである。徹底的になぜこの戦争が起こったのかを偏見なく分析すべきである。
 太平洋戦争のことを知っているようでいて、実は何も知らないということを、「昭和16年夏の敗戦」を読んで、私はつくづく思った。

作文道場猪瀬直樹(いのせなおき)。
1946年長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2002年6月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。06年10月、東京工業大学特任教授、07年6月、東京都副知事に任命される。(中公文庫:「黒船の世紀」より引用)
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