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読書感想文
 
井上ひさし「父と暮らせば」を読む

 井上ひさしは、司馬遼太郎と同じように、私にとっては先生のような存在であった。私は井上から多くのことを教わった。特に学んだのは日本語についてである。
 日本語には大きく分けて和語と漢語があることを知ったのも井上の本からであった。この事実は私にとっては衝撃的なことであった。それまでたくさんの小説を読んできたつもりであったが、和語だの漢語だのは一切気にしていなかった。和歌は原則和語で詠まれることも知らなかったのである。
 和語は日本古来からの大和言葉である。長い時を経ても今に伝えられているので完全に日本人の心に適応している。そのため和語は心地よく響く。聞いて気持がいいのである。和語だけで作られた歌(ビリーバンバンのある曲の詩はすべて和語で書かれていると井上は指摘していた)はしみじみと心に響きそして心をなごませてくれる。
 和語に対して奈良時代あたりから中国からはいってくる漢字言葉が漢語である。漢語は異国の言葉であるため、どこか神経を刺激する。意識を高揚させるときに効果がある(軍歌は漢語が多用されており、「愛国行進曲」は漢語ばかりである)。和語では喧嘩はできないが、喧嘩特に議論のときは自然と漢語を用いる。
 井上は言葉について真剣に考えた作家である。作家だから当たり前ではないかというかもしれないが、井上の場合度が過ぎている。それほど井上は言葉の大事さを痛感していたのである。井上がいなくなってもう優れた文章読本を書ける人がいなくなったのではないだろうか。
 言葉には魂がこもっている。言葉は単なる記号ではない。言葉に潜む魂をうまく引き出せたとき作品が際立つ。
 井上の「父と暮らせば」は言葉の魂が浮き出てくるような作品である。この作品は戯曲であるが、名作中の名作である。この作品ではセリフがすべて広島弁である。標準語を使う人はこてこない。といってもこの劇には人間一人と元人間一人しかでてこないのであるが。
 言葉だけではない、この戯曲にはいたるところに仕掛けがつくられている。劇を見るもの並びに戯曲の読者はその仕掛けにうまくひっかかって、あるときは笑い、あるときは悲しみ、あるときは憎しみそして最後には勇気付けられた気分になるのである。私がそうであった。
 「父と暮らせば」の主題は反原爆である。といって深刻なものではない。喜劇といってもよい。
 井上は反原爆に心血をそそいだ作家である。広島・長崎のことを語り継ぐことが作家の使命だと思っていた。なぜ作家は広島・長崎の原爆のことを語らなければならないのか。広島・長崎の悲劇を<日本人だけの記憶>ではなく<人類全体の記憶>にしたかったのだと思う。そのためには言葉が使われなければならない。人の心の中に記憶として残る言葉を生み出さなければならないのである。それを可能にするのが芸術である。
 「父と暮らせば」は優れた芸術作品である。井上の反原爆の姿勢は思想に基づいたものでなく、芸術家の使命として井上は表現せざるを得なかったのであろう。あの原爆の悲劇が井上に使命感を与えたのである。原爆の悲劇を喜劇にして、劇を見るもの戯曲の読者の心に永遠にその悲劇を植えつけさせようとしたところに、私は井上の偉大さを感じる。
 「父と暮らせば」は間違いなく古典になる戯曲である。

 時は昭和23年7月の末、場所は広島市、比治山の東側。福吉美津江の家が舞台である。 美津江は23歳で独身で一人暮らしである。美津江は図書館で勤務し、本の貸し出し係りをしている。
 美津江の家には父の竹造が来訪している。美津江と竹造は20年8月6日、広島の中心で被爆した。美津江は偶然生き長らえ、竹造は原爆の光を直接に浴びて死んだ。
 それではなぜ死んだはずの竹造が美津江の家にいるのか。美津江を応援するために死者の国から竹造はこの世に舞い戻ってきたのである。何のための応援かというと、美津江を結婚さして幸福にならせるためである。
 美津江は恋をした。相手は図書館によくくる木下という人で、木下は原爆の資料を集めていた。木下は美津江に好意をもち、そして美津江も木下のことが好きになった。木下は美津江に求婚した。美津江は結婚したかったが、意識の上では結婚を否定する。
 美津江の親しい友人たちはあの原爆で死んだ。美津江は自分だけが生き残って幸せになることは許されないと頑なに思い込んでいた。それが死んだものたちの鎮魂になるのだと思っていたのであろう。
 竹造は死者であると同時に、美津江の分身であったのかもしれない。それは結婚したい美津江であった。竹造は結婚を拒否する美津江に向かって、お前たちが幸福になって原爆のことを語り続ける義務があると説得する。
 最後、美津江は木下と結婚することを決意した。

 この劇はハッピーエンドで終わっている。何しろこの劇では、生きている者が原爆で死んだ者を哀れむのではなく、死者が生きている者に勇気を与えているのである。
 原爆のことを語り続けることこそ、原爆をこの世から葬り去る方法であると井上は思っていたのだろう。そのために井上は語り続けた。
 私はこの井上の姿勢に芸術家の本性を見る思いがした。

 井上ひさし、2010年4月9日、永眠。合掌。

 
井上ひさし「日本語教室」を読む

 井上ひさしの創作のモットーは<難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを深く、深いことをおもしろく>である。井上は深刻なこともわかりやすくそしておもしろく書いてくれる。
 日本語に関しての本はたくさん出ているが、概しておもしろくない。まして日本語の文法に関してのものは全くといってよいほどつまらない。日本語という深い歴史を持った言語を解説するとなると、どうしても難しくなってしまうのかもしれない。
 ところが、井上の日本語に関する本はとてもわかりやすくおもしろい。私は井上の本を読んで何度、目から鱗が落ちたことやら。
 何故、井上の書いた日本語についての本がわかりやすいのかと考えたことがある。それは井上のモットーだといえばそうなのだが、それ以上に井上が日本語を直接の道具として仕事をしているからであると思う。
 日本語の研究者にとって、日本語は研究の対象ではあっても、自分を表現する道具だという認識は薄い。このような文章・言葉では読者はよくわからないのではという意識がどうもないように思える。しかし、井上にとって日本語は唯一にして最強の道具である。その道具のことを徹底的に知らないと、納得のいく仕事ができないのである。
 井上は芝居のセリフを考えるとき、日本語の属性をよく吟味する。たとえば次のようにである。

<私は芝居を書いていますが、なるべく「い」の音を生かすように気をつけています。たとえば銀行を使うのなら、もう三菱に決まりです。銀行の内容とか、そういうことではありません。音だけの問題です。「みつびし」だと、四つの母音のうち三つが「い」の音ですからね。ところが上に東京がついてしまったので、ちょっとやりにくくなりました。(笑)。住友は、俳優さんがどんなにしっかり発音しても、最初の「す」という音が消えるのです。だから、客席の後ろのほうの人には「みとも銀行」というふうに聞こえてしまいます。これは、どんな名優でも、杉村春子さんでもそうです。つまり、「う」という母音は、口のなかを通るときに半分ぐらい力を落とされて外へ出るので、途中で消えてしまうわけです。ですから、私の芝居では銀行はすべて三菱になっています。それは、「みつびし」と言うと、僕らの声でも遠くまで届くから、という理由によるものです。>

 これは「日本語教室」という講演の中で井上が述べたものである。実作者にしか言えない内容である。
 井上は芝居だけでなく、小説もたくさん書いている。心に響くのはどのような言葉なのかと井上は必死に考えたに違いない。行き着いたところが、日本語には和語と漢語があるということである。日本語学者に言わせると、和語は訓読み、漢語は音読みという陳腐な解釈になる。井上は和語と漢語について持論を展開する。この持論がずば抜けているのである。私は井上の和語と漢語についての意見を読んだとき、井上を神のごとく崇め奉ったものである。

 「日本語教室」(新潮新書)は井上が母校上智大学で4日間行った日本語に関しての講演である。井上のすまじいばかりの日本語に対する愛着が読み取れる。その内容は次の通りである。

第一講 日本語はいまどうなっているのか
第二講 日本語はどうつくられたのか
第三講 日本語はどのように話されるのか
第四講 日本語はどのように表現されるのか

 どの講義も深い内容であるが、やさしくかつおもしろく語ってくれている。当然、和語と漢語のことが出てくるが、現代においての外来語すなわちカタカナ語についてかなり言及している。
 特に、私が感銘したのは母語についてである。井上は、いくら外国語を勉強しても母語以上には上達しないと言っている。日本語も満足にできないものが、日本語を勉強せずに英語を勉強するのはおかしいと言っているのだ。

 井上は日本語の現状について非常に強い危機意識を持っていた。日本人を日本人たらしめるのは日本語であることを井上は力説したかったに違いない。

 
作文道場井上ひさし(いのうえ ひさし)。1934年 - 2010年。
山形県生まれ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に「ひょっこりひょうたん島」の台本の共同執筆など放送作家としてスタートする。以後、「道元の冒険」、「手鎖心中」(直木賞)、「吉里吉里人」など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍した。(新潮文庫より引用)
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