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読書感想文
 
伊藤左千夫「野菊の墓」を読む

錦糸町駅前に建っている伊藤佐千夫の牧舎及び住居跡の石碑 江藤淳の畢生(ひっせい)の作品といったらまちがいなく「漱石とその時代」であろう。惜しくもあと少しを残して未完に終わったが。

 私は40歳を過ぎた頃から歴史に興味を持つようになった。特に、明治に関心をもち、その類の本を読み漁った。そのとき手にしたのが「漱石とその時代」である。この作品は漱石の思想・行動を克明に追っていくのだが、その中で、江藤淳は漱石が伊藤左千夫の「野菊の墓」を激賞していることにたびたび触れている。漱石がこれほど褒めているのだから読まずにはいられなかった。これが私が初めて「野菊の墓」を読んだきっかけであった。私は40歳を過ぎて初めて「野菊の墓」を読んだことになる。
 読んだあと、強く胸を打たれたのを覚えている。感動というより感銘した。漱石が激賞するのもむべなるかなであった。

 私は大学生の頃、日本の近代文学の代表作をでき得る限り読もうとしたが、なぜか伊藤左千夫には目もくれなかった。伊藤左千夫は正岡子規の弟子の歌人くらいにしか認識していなかった。どうしても左千夫というとアララギ派の和歌を読む人というイメージであった。その左千夫がこんなにもすばらしい小説を書いていたとは正直驚いた。

 しかし、今思うと20歳の頃「野菊の墓」を読んだら、それほど感銘したどうかは疑わしい。おそらく、うまいなーとは思っただろうが、強く胸を打たれることはなかったかもしれない。若い読者にはどこか満腹感を感じない作品にも思える。逆に、読む人が、年をとればとるほど、この作品は味わい深くなるのかもしれない。
 今回、再び「野菊の墓」を読んだ。これで3回目だ。やはり心を打たれた。なんとも哀しい物語だが、郷愁みたいなものも感じた。

 千葉県の素朴な農村が物語の舞台である。その村の名は矢切村といって、矢切の渡しを東へ渡ったところにある。矢切の渡しと聞いただけで、どこか遠い田舎を連想してしまう。主人公は政夫と民子の2人。政夫は15歳、民子が17歳で、民子が2歳年上である。政夫は小学校を卒業し、これから中学生に進学しようとするときであり、民子は政夫の病身な母の面倒をみるために政夫の家にいる。政夫が生まれてから2人はずっと兄弟のように育てられた。そしていつしか2人はお互いに切っても切れない仲になっていく。2人の仲があまりにもいいので、政夫の母が無理矢理民子を他家へと嫁がせた。これが大きな悲劇となる。

 「野菊の墓」は色彩豊かな農村風景を背景にして進行していく。日本人には何ともいえないなつかしい風景である。自然がとても柔かく優しく感じる。
 <茄子(なす)の畑というは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当たる裏の前栽(せんざい)畑。崖の上になっているので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡させる。秩父から足柄箱根の山々、富士の高峯(たかね)も見える。>
  なごやかな、農村の風景が一望に広がる。

 政夫と民子は農村を一緒に歩いたとき、よく花や草を摘んだ。えびづる・あけび・春蘭・りんどうそして野菊などである。民子は野菊が大好きであった。
 2人が最後に顔を合わせたのが矢切の渡し。政夫は船で河から市川へでて、中学校へと向かうのである。下女のお増と民子が見送りにきた。民子は下を向いて一言も政夫とは言葉を交わさない。民子はさっぱりとして銀杏(いちょう)返しに、薄く化粧していた。政夫の目には未来の妻としての民子が写っていたはずである。だが、この姿は政夫が見た最後の民子の姿であった。

 単純な構成と平明な文体で語られる「野菊の墓」がなにゆえかくも長い期間に渡って読者の胸を打つのだろうか。
  私はこの作品に日本人がもつある種の原風景があるからではないかと思う。幼い頃見た風景、接した人々、そして何といっても一緒に遊んだ幼なじみ。幾星霜を重ねれば重ねるほど幼い頃の記憶はより鮮明になりなつかしくなっていく。

 今回読んでいくうちにふと「伊勢物語」の筒井筒を思い出した。幼なじみの男と女の恋の物語である。筒井筒の男と女は添い遂げるが、政夫と民子はそうではなかった。まさか、左千夫が筒井筒を意識したとは思わないが。

 「野菊の墓」が私たちの胸を打つもう1つの理由は政夫の回りには優しくいい人たちしかいなかったからだ。この作品は封建制度の中で特に一番悪とされている「家」に対して一切批判がましいことをいっていない。民子を死に追いやった母を政夫は一切責めないで、逆になぐさめている。やはりこの作品は左千夫自身の感性そのものであったのだろう。長い長い叙情詩といえなくもない。

 民子は死んだとき、左の手に政夫の写真と手紙のはいっている小箱をもっていた。これもまた泣かせる。
 民子の墓の周囲は、政夫の手によって野菊が一面に植えられた。秋には見事な花を咲かせているのであろう。

※:写真は、錦糸町駅前に建っている伊藤佐千夫の牧舎及び住居跡の石碑です。

 
作文道場伊藤左千夫(いとう さちお)
元治元年8月18日(1864年9月18日) - 大正2年(1913年)7月30日)
歌人、小説家。本名 幸次郎
上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市)の農家出身。
明治法律学校(現・明治大学)中退。
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