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読書感想文
 
久米正雄「受験生の手記」を読む

鎌倉長谷寺にある久米正雄像 早稲田にある夏目漱石の家では、毎週木曜日になると門下生が集まり、漱石を囲んで四方山話をした。この会のことを木曜会という。漱石の最晩年に、木曜会にきたのが芥川龍之介で、芥川が漱石から「鼻」を激賞されたのは文学史上有名な話である。
 芥川は一人で漱石を訪ねたのではなかった。東大の同級生の久米正雄と一緒だった。芥川と久米は第一高等学校入学からの親友である。久米も小説を書いていて、漱石から褒められた。
 その後、久米は同級生の松岡譲を木曜会に連れて行って漱石に紹介した。松岡は漱石の長女の筆子と結婚することになる。松岡と筆子の結婚に対して久米は大いに嫉妬した。久米は松岡よりも早く筆子に恋し、結婚を望んでいたからである。久米の知らぬ間に、松岡と筆子は恋に落ち、久米は思いを遂げることができなかった。
 久米は失恋のことを新聞小説「蛍草」に書いた。これが話題となり、久米は世間から同情されたという。
 久米は長野県で生まれたが、7歳のときに福島県に移り、県立安積(あさか)中学を卒業した。中学を卒業すると、推薦で第一高等学校に入学した。高等学校は今の大学の教養課程に相当し、第一高等学校は現在の東大の教養課程ということになる。第一高等学校は最難関の高等学校であった。
 当時は、高等学校の受験が熾烈を極め、現在の受験競争と変わりがなかった。高等学校に入学すると、あとは自動的に大学に進めた。第一高等学校から東京帝国大学に進むコースが戦前の超エリートコースであった。久米は芥川と同じく、超エリートコースを歩んだ人であった。
 久米は芥川と菊池寛とともに大正文学三本柱といわれたが、通俗小説ばかり書いていたので、現在でも読まれている作品は少ない。その少ない作品の中で、私が一番好きなのは「受験生の手記」である。

 「受験生の手記」は第一高等学校を2年続けて受験して失敗した受験生の手記であるが、本当のところは遺書である。
 主人公の「私」は昨年福島県会津若松の中学校を卒業して、第一高等学校三部を受験したが、失敗して浪人になった。今年は早めに受験の準備をするために年が明けると上京し、義兄の家にやっかいになった。試験は7月にある。当時の高等学校は秋入学であった。
 今年こそは絶対に受かってやると「私」は気合を入れるのだが、なかなか勉強がはかどらない。義兄の家には毎週日曜日に義兄の姪の澄子が遊びにきた。澄子は17歳ぐらいでたいへんチャーミングであった。「私」は澄子に恋をした。
 4月になると故郷の弟が上京してきた。弟も中学を卒業して第一高等学校を受験するのである。弟は三部を受験したかったが、兄に遠慮して二部を受けるつもりであった。二人は同じ部屋に住むことになった。
 弟は優秀で、「私」は弟と一緒にいると落ち着いて勉強することができないので、下宿することにした。毎週日曜日に「私」は義兄の家に行った。もちろん澄子に会うためである。しかし、日がたつにつれて、澄子の気持が弟に傾いていくのがわかった。「私」は焦り嫉妬した。ついに、「私」は姉に、第一高等学校に合格したら、澄子に結婚を申し込むと告白した。
 いよいよ試験の日になった。結果は悲惨であった。「私」は不合格で、弟は合格した。澄子からは気を落とさないでという手紙がきた。「私」は義兄の家に行って、弟がいないすきに、弟の机の引き出しを開けて、澄子からの手紙を盗み読んだ。それは合格の手紙というより、ラブレターであった。「私」はいたたまれなくなって故郷に帰る決心をした。 「私」は故郷の家に帰ることなく、その身を猪苗代湖に沈めた。

 「受験生の手記」は久米が筆子に振られた体験をもとに書いたのであろうかと、私は思った。

※:写真は、鎌倉長谷寺にある久米正雄像です。

 

※:写真は、福島県郡山市開成山公園に建っている久米正雄の句碑の案内板です。

 

旧福島県尋常中学校本館

※:写真は、旧福島県尋常中学校本館(現福島県立安積高等学校)です。
久米正雄は第1期卒業生でした

 
作文道場久米 正雄(くめ まさお)
1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日 。
日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。
旧制の福島県立安積中学校(現福島県立安積高等学校)卒業。無試験で第一高等学校文科に推薦入学。鎌倉ペンクラブ初代会長。
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