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読書感想文
 
永井荷風「雨瀟瀟(あめしょうしょう)」を読む

 永井荷風は明治時代までを古きよき時代としている。荷風にとって明治時代は江戸時代の流れを汲む時代であったのであろう。
 明治時代を境にして、形の上でもそして内面的にも日本の社会は劇的に変化していった。変化の波は伝統・文化の領域に容赦なく押し寄せた。江戸時代を代表する浄瑠璃・長唄・常磐津といった芸能を継承する人たちが減り、芸能そのものの存続が危ぶまれるようになっていた。それと同時に人間のものの見方・考え方までが大きく変わりつつあった。人はより合理的にものを見るようになった。競争を受け入れ、行動の規範を数字に求めた。何をするにも数字がものをいった。教育者・芸術家というような本来数字に関係ない人たちも数字で動くようになっていった。
 明治時代は悠久の歴史をもつ日本が大きく曲がっていく過渡期の時代である。荷風はそんな過渡期に青年時代を過ごした。

 荷風の「雨瀟瀟」は小説とも随筆とも判然としない作品である。荷風の作品には小説なのか随筆なのかよくわからない作品が多い。「雨瀟瀟」は風流なタイトルであるが、その内容はかなり痛切な文明批評といってもよいものである。
 この作品は荷風と思しき小説家とヨウさんという風流人との交友を描いたものである。作品は小説家の一人称語りで進行していく。
 ヨウさんは実業家でたいへんな金持ちであり、おまけに艶福家で妾を抱えていた。「わたし」は長唄の稽古をしたことがあり、ヨウさんも長唄の稽古をしていて師匠が同じであった。それが縁になって2人は付き合うようになった。2人とも江戸情緒をこよなく愛するものたちである。2人はよく一緒に食事をし、芸者をあげて遊んだがいつしか会わなくなった。
 ある日、「わたし」は偶然銀座通りでお半という女に出会った。彼女はヨウさんの愛妾であるはずの女であったが、再び芸者になることを「わたし」に告げた。
 「わたし」は早速家に帰り、久しぶりにヨウさんに手紙を書いた。物語はお半のことを中心にしての「わたし」とヨウさんとの思い出と手紙のやりとりをもって進むことになる。
 お半はヨウさんの愛妾であったのだ。お半は三味線がうまかった。ヨウさんはお半を妾にするよりも本格的に三味線を習わせて浄瑠璃の緒流の中で最もしめやかな薗八の三味線弾きにしようとしたのである。ヨウさんは薗八節が弾ける人間がいなくなることを危惧していたのである。それは「わたし」も同感であった。
 お半は初めはそれなりに練習をしたが、すぐにやめてしまった。三味線の芸人にはなる気がなかったのである。ヨウさんの妾のときはヨウさんの財力に魅力を感じヨウさんの歓心を買うために三味線の腕を上げようとした。
 ヨウさんは義侠心から何人もの書生の面倒をみて、彼らを世の中に送りだした。彼らのうちの何人かは画家や教育家として成功したが、ヨウさんは口を極めてその画家と教育家を罵倒した。彼らは画家とか教育家とはいっているが、所詮は地位や名誉のために動く輩でしかないとヨウさんはいった。
 ヨウさんと「わたし」は古きよき時代をしみじみと偲ぶのであった。

 「雨瀟瀟」の文章は唸るくらいの名文である。また荷風の教養の深さには畏れいる。

 荷風と漱石はたいへん似ていると私には思われる。2人とも西洋の文化・文明を熟知し、それと対峙するように江戸文化・情緒に傾倒した。漱石は西洋と東洋の葛藤を小説という形で描いたが、荷風は表向きは飄々として花街の巷に身を沈めて生きた。
 ときには荷風も江戸の文化・伝統がなくなっていくことに腹をたてたのかもしれない。 その怨嗟が「雨瀟瀟」という作品として表れたということか。

永井荷風「二人妻」を読む

 永井荷風の小説には喜劇仕立てのものが多い。喜劇的な人間が出てくるというよりも、人間の喜劇性が浮き上がってくるといったものである。
 昼は弁護士なり医師として周囲から一目置かれる男たちも、一旦職場を離れると何をしているかわからない。真面目な人たちならば妻の待つ家へとまっすぐに帰るのであるが、甲斐性のある男は妾の家に行ったり、芸者のいる待合に行ったりする。どんなに立派な男でも所詮男は男、男は女の尻を追いかけるのである。だから、男という存在そのものがどこか喜劇的なのである。
 その男たちの妻たちもたいへんである。夫が妻に内緒で浮気をするから気が気でない。まして、結婚して間がない時期ならなおさらである。女は疑心暗鬼の塊となり、始終夫の動きを探ろうとする。そこで、夫と妻の間で丁々発止が起こる。これもまた喜劇的である。男は妻との間だけでなく、愛人との間でも丁々発止が起こる。これもまた喜劇的である。
 これらの男と女たちは実際にはかなり深刻なのであろうが、荷風が描くと深刻というよりも喜劇的になる。じめじめしたものではなくすっきりとした爽やかな小説になる。「二人妻」はその典型的な小説である。

 「二人妻」はそのタイトルが示すごとく2人の妻について書かれたものである。
 千代子と玉子は女学校時代の同級生である。女学校時代はそんなに親しくなかったが、結婚してから急に親しくなり、よく話すようになった。千代子の夫は弁護士で事務所を構えている。玉子の夫は病院の院長である。2人の夫人は人からはうらやましがられる存在であるが、その内情は深刻であった。
 玉子の夫には元女優の妾があり、子供までつくっている。夫はしょっちゅう元女優のところに行く。玉子はその存在を知っており、嫉妬に苦しんでいる。その相談相手が千代子である。千代子は玉子の愚痴を一見親身になって聞いていた。それはあくまで表面的で、実際は玉子の愚痴を聞きながら自分自身をなぐさめているのであった。千代子は自分の夫には馴染みの芸者がいるのではないかと疑っていた。千代子の夫俊蔵は表向きは律儀な人間で、遅くなるときにはかならず仕事で遅くなると連絡があるが、千代子はそれがあやしいと勘ぐっている。芸者の許へと行っているのではないかと思っているのだ。実際、俊蔵はある芸者を愛人にもっていた。俊蔵はその芸者に嫌気がさしてきた。
 ある日、玉子と千代子がいつもの百貨店の食堂で落ち合うと、玉子は嬉しそうにした。玉子は自分の夫が元女優と縁を切ったことを千代子に告げた。千代子は何だか残念な気持になった。玉子は今夜芝居を見に帝国劇場に行かないかと千代子を誘った。千代子はその誘いを断った。
 千代子は心が晴れない状態で日を過ごした。すると、玉子から連絡があり、玉子は至急千代子に会いたいと言った。いつもの食堂で会ったとき、玉子は化粧もせず、やつれていた。玉子は夫と元女優が元の鞘におさまったことを打ち明けた。千代子は同情を装い、すぐその元女優を訪れるべきだと主張した。2人は元女優が住むという愛宕下の家まで出向いた。2人が元女優の家の前の近くまで来ると、家の格子戸から男が出てきて、2人がいる反対の方向へと歩いて行った。その後ろ姿を見て、玉子は自分に夫だと思ってショックを受けた。実は、千代子の夫の俊蔵も元女優に鞍替えをしていたのである。

 「二人妻」はブラックユーモアがよくきいた小説である。荷風が尊敬してやまないモーパッサンの作風とどこか通ずると感じるのは私だけであろうか。

永井荷風「ふらんす物語」を読む

 永井荷風は24歳から29歳までの5年間西洋に滞在した。はじめの4年間はアメリカで残りの1年間はフランスである。荷風はもともとフランスに行きたかったのであるが、父の意向でアメリカ経由となってしまったのだ。
 荷風はむろん遊びに行ったのではない。仕事をするために行ったのである。その仕事とは銀行の事務である。荷風はアメリカからフランスに渡ると、パリに数日いてすぐさまリヨンに向かい、そこの日本の銀行で働くこととなった。しかし、本質的に銀行の仕事は荷風には向かなかった。結局、銀行をやめることになり荷風は再びパリへと赴き、そしてしばらくその地に滞在したあと、ロンドン経由で日本へと帰国する。「ふらんす物語」はフランス滞在中に見聞したことをベースに小説風・随筆風に書いた作品を集めたものである。
 「ふらんす物語」を読むと、行間から荷風がいかにフランスという国をこよなく愛していることが伝わってくる。なぜ自分はフランス人として生まれなかったのだろうかとさえ嘆いている。荷風はフランスのすべてを愛したのである。
 私がフローベール・モーパッサンを読むようになったのは荷風の影響である。この2人の作家以外に「ふらんす物語」にはゾラ・ベルレーヌ・ボードレール・デュマ・メリメなどたくさんの作家の名が登場する。荷風のフランス文学に対する造詣の深さには畏れいる。過去の偉大なる文学者たちを偲びながら、日差しのあふれる、マロニエの樹が植えられたパリの並木道をとぼとぼと歩いた荷風の姿が思い浮かぶようだ。また、モンマルトの丘ではしゃれたカフェーのテーブルに坐り、香りよいコーフィーを飲みながら街を行くパリの人々をあきもせず眺めていたに違いない。夜は娼婦たちのいる街を彷徨い、享楽の一夜をすごしたに違いない。
 「ふらんす物語」は荷風の青春小説といってもよいが、荷風の文学的資質というものをすべて表出した作品集に私には思える。その文学的資質の1つが散歩である。荷風ほど散歩が好きな作家を私は他に知らない。荷風の文学は散歩の文学といってもいいくらいだと私は思っている。荷風はリヨンでもパリでもよく散歩している。日本に帰ってきてからの荷風が銀ブラをよくしたように荷風はパリの街を隅から隅まで散歩している。ただ、私にはその散歩がなぜか夢の中を歩いているように思われる。その夢の中で荷風はさまざまな人間(特に女性)と出会っていく。メリメの小説にでてくるようなセクシーで哀愁ただようジプシーの女、結婚したくてしょうがない可憐な娼婦、そしてあの椿姫みたいな娼婦たちとも出会う。
 それにしても荷風のフランス贔屓はすさまじい。セーヌ川近くの森に落ちている落ち葉を慈しみ、安料理屋で食べる料理にも舌鼓を打っている。その逆に荷風はイギリスに対してはことごとく、街の作りから料理まですべて毛嫌いしている。極め付きは英語そのものを嫌っていることだ。荷風はフランス語を最高の言葉として称揚し。英語を下品な言葉として卑しめている。
 荷風はなぜこうもフランスを愛したのであろうか。その愛は異常ともいえる。日本に帰るときのことを描いた作品の中で、自分はパリにずっといたいと痛切に書いている。

 私は荷風のフランスとくにパリに対する愛情が、江戸の町に対するそれと重なるように思えてならない。極端にイギリスを嫌いフランスを好きになるのはどこか象徴的である。何か意味があるように思えてならない。イギリスは今まさに近代化を推し進めている日本の象徴で、フランスは滅びた江戸の象徴なのではないだろうか。近代批判と江戸への郷愁、この荷風文学のテーマの原点が「ふらんす物語」につまっているように私には思えてならない。
 私はパリに行ったことはないが「ふらんす物語」を読むと、パリに対して非常になつかしいものを感ずる。そこには純粋に素朴なものが存在するのだ。その素朴さを荷風の感性が掴んだように思える。
 「ふらんす物語」は名作中の名作である。

 
作文道場永井荷風 (ながい かふう)
1879年(明治12年)12月3日ー1959年(昭和34年)4月30日。
本名は壯吉(そうきち)。
号は断腸亭主人、金阜山人。
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