数学道場、総合案内
line decor
 
line decor
日本文学編に戻る
名曲を聴きながら
名作を読んでください
勉学を志す人へ
夏目漱石が帝大生
のころ、箱根に登って
詠んだ漢詩。
夏目漱石の漢詩
line decor
読書感想文
 
夏目漱石「坊っちゃん」を読む
夏目漱石誕生の碑

 漱石の「坊っちゃん」を読んだ。高校生の頃初めて読んでから、今回でもう7、8回は読んだであろう。正直言っておもしろい。何度読んでも、いつ読んでもおもしろいのである。そして、ふと考える。「坊っちゃん」はなぜこんなにおもしろいかと。

 筋は簡単明瞭である。学校を出たばかりの単純明快で、竹を割ったような性格の坊っちゃんが下女の清に後ろ髪を引かれる思いで、単身、田舎も田舎の松山の中学校に数学の教師として赴任する。そこで、男気のある上司の山嵐と一緒に、権威をふりかざして弱者を合理的に貶める教頭の赤シャツに制裁を加える。山嵐にしても坊っちゃんにしても、赤シャツやその取り巻きの野だを制裁したところで何の得にもならない。
 至極単純なストーリーだが、江戸時代の読み物のような勧善懲悪のものとはまったく違う。なぜなら嫌な奴ではあるが赤シャツは悪人ではなく、人から尊敬される帝大卒の教頭であるからだ。おまけにそれなりの愛嬌もある。
 「坊っちゃん」を子細に眺めてみると、2つのものの対比が見えてくる。それは善人と悪人という単純な対比でなく、制度と自然という対比である。おそらく「坊っちゃん」のおもしろさはこの制度と自然の図式の上に成立していることに起因しているように思われる。明治政府は過去を清算し、西洋型の新しい制度の構築に邁進した。その典型が帝国大学である。帝国大学は国のリーダーとなって、制度を作る人間の養成機関であった。そのため帝大卒は地位も名誉も財産も手に入れることができた。漱石その人も帝大卒であり、制度の落し子なのだ。

 赤シャツは制度の側の人間として、そして、坊っちゃん、山嵐はその制度に敗れ去った人間としての立場をとる。坊ちゃんは旗本の家系、山嵐は会津の出身である。どちらも明治とともに没落した。ただ漱石は坊っちゃんを敗れ去った者としてではなく、自然なままの姿として描く。坊っちゃんの行動をみればそれは一目瞭然だ。坊っちゃんの行動には原理がない。あるのは自然の情だ。坊ちゃんの兄は将来実業家になるために英語を勉強し、そして高等商業を卒業する。坊っちゃんが数学の教師になったのは、学校を探す際、たまたま物理学校の前を通りかかり、そこが生徒募集していたから、そのまま規則書をもらって入学の手続きをしてしまったからである。
 赤シャツの行動原理は打算である。赤シャツは打算のために、うらなりの婚約者のマドンナを奪い、自分に批判的な山嵐を謀略の果てに追い出し、単純な坊っちゃんを懐柔して手なずけようとする。赤シャツの打算の裏付けは制度に対する絶対的な信頼である。芸者と遊んでも、山嵐と坊っちゃんに殴られても、制度はびくともしないし、赤シャツの地位も脅かされることがない。

 制度と自然との対比は何も赤シャツと坊っちゃんとの関係だけではない。この作品を奥深く、そして温かみのあるものにしている清の存在が、制度と自然の対比を一層際立たせている。
 清はこの作品の白眉である。清ほど打算とほど遠い存在にあるものはない。清は坊っちゃんの打算的な兄を徹底的に嫌い、坊っちゃんに対しては実の母親以上の情を注ぐ。清は母親の存在を超えた「人格」なのである。ここで、ふと江藤淳の書いたことを思い出す。
 <日本の近代小説には新しい人格が描かれていない。たとえばチェーホフの「かわいい女」のような>
 この文に接したとき、<先生(江藤淳は私の先生なのだ)なにを言っているのですか。清がいるではありませんか。清が日本の「かわいい女」です>と言いたくなった。
 清=自然であり、清が住むのは東京(=江戸)なのである。漱石にとって江戸は自然そのものであったのだ。
 制度と自然は作品の中では図式として描かれるが、漱石自身の中では葛藤する。制度の落し子である漱石は一高・東京帝大講師という超エリートコースからはずれて世間的には小説記者という売文業に身を落とす。目を見張るのは、漱石が博士号の授与を断わることだ。末は博士か大臣かと謳われた最高の地位を放擲したのだ。
 漱石も葛藤の末、自然を選んだのである。「坊っちゃん」だけでなくあの暗い「門」「行人」「明暗」もおもしろいのはこの自然が作品の底に流れているからだろう。近代人、現代人問わず、人間はやはり自然なものだからだ。

(上記の写真は、新宿区早稲田にある「夏目漱石誕生之地」の碑です。)

 
   
夏目漱石「三四郎」を読む

東大構内三四郎池 私は漱石の作品の中で繰り返し読む作品が3つある。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」である。これらの作品は何度読んでもおもしろいし、読むたびに新しい発見がある。
 「三四郎」を初めて読んだのは高校生のときで、読んだあとどうしても三四郎池を見たくて東大にまで足を運んだ。そのとき、三四郎池を見た感動よりも東大の構内のあまりの広さに感動した。さすが日本の大学の頂点に立つ昔の東京帝国大学だと感動しながら、漱石もここで勉強したのかと思うと感慨はひとしおであった。

 九州から東京帝国大学に入学するために上京した三四郎が野々宮に会ったあと行ったのが大学構内にある池であった。そこで美禰子(みねこ)と運命的な出会いをする。このとき2人の恋は始まったともいえる。
 しかし、恋の行方にはある予兆がすでに用意されていた。それは、三四郎が上京する折に名古屋で偶然一夜をともにした女から「あなたは余っ程度胸のない方ですね」といわれたことだ。この言葉は非常に象徴的である。「度胸のない」とは「踏み超えられない」ことである。三四郎と美禰子との恋は「踏み超えられない男」と「踏み超えようとする女」との格闘といえなくもない。
 今回新しい発見をしたというのは美禰子が三四郎に貸した30円のことである。三四郎は与次郎に20円貸したのだから美禰子は三四郎に20円貸せばよかったのだが、実際は30円貸した。30円に意味があるのかそれとも30に意味があるのか。

 30といえばキリスト教徒で、聖書に精しい人ならたいていはその意味することは知っている。ユダはキリストを銀貨30枚で裏切った。別のいい方をすればユダは銀貨30枚で魂を売りわたしたのである。美禰子は敬虔なクリスチャンであり、聖書のマタイ伝にのっている迷える羊を引用して自ら迷える羊といっているぐらいだから彼女はまちがいなく30の意味を知っていたはずだ。美禰子は三四郎に30円貸すことによって彼の魂を買ったのだ。逆にいうと三四郎は美禰子に魂を売ったのである。魂を売ったのであるから三四郎は踏み超えなければならなかったのである。
 美禰子が30円を返してもらうことにこだわらなかったのは、返してほしくなかったからである。三四郎は何もできずに、インフルエンザにかかり、その間に美禰子の結婚は決まってしまった。30円のお金は美禰子のもとへと戻った。こう考えてみると、美禰子とは一体どんな女なのだろうかとつい思ってしまう。漱石にいわせると「無意識の偽善者」らしいのだが、どうしてどうして「意識した悪魔的な女」といえなくもない。「悪魔的」とは「踏み超えよう」とすることである。

 私が「三四郎」が好きな理由は三四郎も美禰子も踏み超えなかったからである。だからこそ「三四郎」には「それから」以降みられる暗さも絶望もないのである。踏み超える直前で学生・知識人を含めていろいろな人が滑稽的に右往左往する。
 それではなぜ三四郎は踏み超えられなかったのか。それは与次郎、広田先生、母親そして三輪田のお光などがいる世界に三四郎がいたからである。特に、お光が強力な磁石となって三四郎が別の世界にいかせなかったのだ。「三四郎」の中ではお光はみごとなかくし味となって緊張感をときほぐす役目もしている。漱石の演出のうまいところである。ことあるごとに母親から手紙がきて、そしてお光のことが触れられている。
 お光は美禰子とは対極に位置する女である。ピアノもバイオリンもひかないし、英語もわからない。綿入を縫うのが得意である。おまけに色が黒く、おそらく香水なるものはつけたことがないであろう。結局、三四郎はお光のいる世界に踏みとどまるのである。
 「三四郎」の中では美禰子1人だけが別の世界にいる。マタイ伝にあるように、美禰子は百匹の羊のうちの迷い出た1匹の羊であったのだ。そして、誰もこの1匹の羊を見つけることはできなかった。

 ではなぜ美禰子は迷ったのか。それは彼女自身が告白している。
 <われは我がとがを知る。我が罪は常に我が前にあり>
 漱石はもともと美禰子を罪あるものとして設定してある。何の罪かは私たちにはわからないし、まして三四郎は救ってやることができなかった。結婚しても彼女の罪は消えることはない。

 美禰子の罪とは何か。これはおそらく漱石文学の核心をなすものであろう。「それから」以降この罪との血みどろの戦いが始まるのである。
  でも、漱石は美人で罪があって孤独な悪魔的な女を創りあげたのである。

(写真は、東京大学構内にある三四郎池)

 
夏目漱石「吾輩は猫である」を読む

 私は「吾輩は猫である」(以下「猫」と表記)を読むたびに、小説のおもしろさとは何かを考えてしまう。「猫」には筋がないのである。登場人物があれこれと勝手に話をするだけである。一般の小説の概念からすればこの作品は異端ともいえる。だから、「猫」を読んで感動はしない。しかし、感動はしないけれども非常におもしろい。それも読むたびにおもしろくなっていくのである。
 確かに、大学生のときに初めて「猫」を読んだときは、よく理解できなかったせいか、おもしろさはあまり感じなかった。それから何年かおきくらいに読んでいくうちにだんだんとおもしろくなり、今回読みなおしても、さらにおもしろかった。私はあと何年生きられるかわからないが、生きているかぎり「猫」を読み続けるであろう。そのたびにおもしろさは増していくはずだ。

 「猫」は中学校の英語の教師である苦沙弥の書斎を中心として、苦沙弥とその友人の美学者の迷亭、哲人の独占そして苦沙弥の元教え子の物理学者の寒月などを主要な登場人物とし、その回りに車屋、魚屋、実業家、苦沙弥の家の近くの中学校の生徒たち、そして泥棒たちが登場して展開する物語である。語り手は言わずと知れた名前をつけてもらえない苦沙弥の家の猫である。
 物語は主に苦沙弥、迷亭、寒月の対話によってすすめられていく。その対話の中身たるや、すさまじいばかりである。哲学、思想、文学、芸術、政治、歴史、はたまた料理、女性論、自殺論なんでもござれである。驚くべきは科学の話まである。ただ、普通の科学の話ならそんなに驚くことはないのだが、具体的な物理の話なのである。特に、寒月が話す首吊りの力学の話はいよいよ具体的で、漱石がかなり物理に造詣が深いことがみてとれる。
 寒月のモデルは寺田寅彦といわれている。寺田寅彦は漱石が第五高等学校で教鞭をとっていたときの教え子である。物理学者であると同時に名随筆家としても知られる。漱石は寺田を深く愛し、寺田からいろいろと物理の話を興味深く聞いたらしい。
 「猫」にはニュートンの運動の法則についてもでてくるし、「三四郎」においては、三四郎の先輩の野々宮が光と力の関係について研究しており、その実験が描写されている。玄人はだしの知識である。
 深く広い知識がベースになっている上に、ユーモア精神が充溢していることが「吾輩は猫である」をさらにおもしろくしている。そのユーモアを醸し出しているのが江戸っ子弁であり、人物描写である。語り手の猫の友人の車屋の黒が語る言葉などは落語を聞いているようだ。思わず「坊ちゃん」を髣髴とさせる見事な江戸っ子弁である。漱石は落語が好きでよく寄席に通っていたらしい。
 人物描写にしてもユーモアたっぷりである。実業家の金田の妻が苦沙弥のうちに訪ねてきたときの金田の妻の顔の描写はほれぼれとする。この描写は初めて読んだときから忘れずに私の胸に残っている。
 <年は四十を少し超した位だろう。抜け上った生え際から前髪が堤防工事の様に高く聳えて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。...>
 これぐらい滑稽に人の顔を描写した作家が他にいたろうか。
 江戸っ子弁にしても顔の描写にしても漱石のユーモア精神には敬意を表する。漱石はなぜこれほどユーモア精神に富んでいるのだろうかと思う。やはり想像を絶する彼の知識の深さなのだろうか。
 漱石は2年間ロンドンに留学した。生活費まで削って、文学研究に勤しんだ。そのためか、神経衰弱になってしまう。ロンドン時代の漱石は孤独で、漱石にいわせるとたのしいものではなかったらしい。でも漱石はイギリス文学に根をおろしているユーモア精神をちゃっかり盗んできたのである。
 フィールディングの「トム・ジョーンズ」を読んだとき、私はふと漱石の作品を読んでいる錯覚にとらわれた。「トム・ジョーンズ」に漂うユーモア精神が漱石のそれに似ていたからだろう。
 私はいつも思う。「道草」、「行人」、「明暗」の作者と「猫」の作者が同じ人なのだろうかと。「猫」の作者がなぜ「明暗」のような作品を書かなければならなかったのか。明治という時代が漱石をして「明暗」を書かせたのか。
 私は「猫」に続く、ユーモア精神旺盛な教養小説を漱石に書いてほしかったと思ったこともあった。だがよく考えてみると、「猫」1作でたりる。「猫」は何度読んでも朽ちることなく、おもしろを永遠に持続できる普及の名作であるからだ。

作文道場夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年1月5日(旧暦)(慶応3年)2月9日ー1916年(大正5年)12月9日
本名、金之助。江戸出身。帝国大学英文科卒。
読本プレゼント
line decor
株式会社河野 株式会社河野 Net個人指導道場
Copyright © 2007-2016 KOHNO.Corp All Rights Reserved.