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読書感想文
 
夏目漱石「虞美人草(ぐびじんそう)」を読む

 漱石の生きていた時代は今とは違って大学教授という地位はとても高いものであった。究極の出世は博士か大臣といわれたもので、原則として博士にならなければ大学教授にはなれなかった。
 漱石は大学教授になることをやめて、朝日新聞の小説記者となった。小説記者は定期的に新聞に小説を連載すればよかった。いわゆる職業作家となったのである。これには世間が驚いた。世間からすればエリートコースを棒に振ったように見えたからである。
 私は漱石の文学が現在まで読み継がれる大きな理由の1つが漱石が大学の先生をやめたことにあると思う。当時は文士も新聞記者も尊敬される人種ではなかった。どちらかといえば世の中の主流からはずれた日影の存在のように思われていた。
 漱石はなぜ職業小説家になったのであろうか。森鴎外は文学活動はしても職業は陸軍軍医である。小説に専念するために陸軍をやめることはなかった。漱石は小説を書くことだけに集中したのである。それは小説という言語空間にしか漱石が追い求めていたものがなかったからであろう。漱石の追い求めていたものを私たちは、最後の「明暗」までの夥しい作品群の中で発見することができる。
 とにかく職業作家となった漱石は生きるか死ぬかの戦いを小説という舞台でしなければならなかった。職業作家となっての初めての小説が「虞美人草」である。朝日新聞はこの作品を大々的に宣伝した。世間も注目し、三越は虞美人草浴衣(ゆかた)なるものを売ったという。

 「虞美人草」はそれ以前に書かれた「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」などと較べて、教養の広さ・深さがベースになっていることは共通であるが作風は違っている。大きな違いは緊張感が漂っていることである。生きるか死ぬかの気概で書かれた小説だからだろう。
 「虞美人草」の主人公を誰と特定することは難しいが、2人の男と1人の女を中心に物語は展開していく。2人の男とは小野と甲野で、1人の女とは藤尾である。甲野と小野は大学時代からの友人であり、甲野は哲学を学び、小野は文学を学んだ。小野は大学卒業のとき天皇から銀時計を下賜されたくらい優秀な学生であった。卒業から数年たち、甲野は職に就かず高等遊民的生活を送り、小野は大学教授になるべく博士論文を書いている。
 藤尾は甲野の腹違いの妹である。2人の父親はすでに他界したが、母親はいる。甲野にとっては継母である。藤尾はクレオパトラ的女王であった。たいへんな美人であるが男を従えるタイプである。小野は藤尾の家庭教師である。
 藤尾と母親は甲野を家から追い出し、小野を藤尾の婿として家に迎え入れようと画策する。甲野の家は資産家である。父親は外交官であった。小野は貧しい研究の徒である。博士になるためには経済的なバックボーンが必要であった。小野も藤尾との結婚を望んだ。 小野には妻になる決まった女がいた。小野は早くに両親を亡くした。孤児となった小野の面倒をみたのは井上先生であった。井上先生のおかげで大学を卒業できたのである。小野は井上の1人娘小夜子と結婚するものと井上からも小夜子からも思われていた。小野は小夜子と結婚できないことを友人をして井上に言わした。
 小野と藤尾との結婚はたやすく消滅した。小野が断念したからである。甲野の従兄弟でもあり小野の友人でもある宗近から説得されて小野は小夜子と結婚することを決断する。藤尾はプライドをずたずたにされて自ら命を絶つ
 「虞美人草」は悲劇といってもよい。

 「虞美人草」の中には新しい型の人間と古い型の人間がでてくる。この2つの型の人間の相克が「虞美人草」の主題のように思える。新しい型とは甲野であり藤尾である。古い型とは小野であり小夜子である。
 甲野は哲学を学び、考えに耽るのが仕事のような人間である。少し神経衰弱である。藤尾は自分の意志を是が非でも押し通そうとする人間である。小野は甲野の、小夜子は藤尾の対極にある人間である。小野は生活を重視しそして義理を重んじる。小夜子は男の影になって生きる従順な女である。

 「虞美人草」では義理が勝ったが、勝負はこれで終わったわけではない。「三四郎」以降甲野・小野・藤尾・小夜子らの分身たちがいろいろと登場してくる。
 漱石は「虞美人草」で戦いを宣告したようだ。

 
夏目漱石「夢十夜(ゆめじゅうや)」を読む

 夏目漱石は長編小説ばかりでなく、随筆とも短編小説とも言い難い小品という短い作品も書いている。長編小説を書いている合間にある意味気晴らしのために書いたのかもしれない。ところがこの気晴らしのために書いた小品なるものがすこぶるおもしろくそして意味深長な作品なのである。「夢十夜」もそんな小品の1つである。
 「夢十夜」は題名の通り、漱石自身が10回見た夢の話である。夢の話であるから、ほとんどが不思議な幻想的な話ばかりである。本当にこんな夢を見たのかと思われる内容のものがある。主題が何かと理解するのが難解な話でもある。
 「夢十夜」を何度も読んでいくうちにだんだんと漱石の深層心理が垣間見えるような気になってくる。フロイトの「夢判断」を持ち出すまでもなく、夢は意識下にあるものが表面出てきたものだと言われている。
 「夢十夜」にはロマンチックなもの、哀しいもの、恐怖心を抱かせるものなど内容は多岐に渡っている。漱石の深層心理の複雑さが思いやられる。

 「夢十夜」の中で私が最も興味を覚えたのが、第三夜の話である。この話は怖い話である。戦後いろいろな評論家がこの話でもって漱石の原罪意識に言及している。
 「自分」は6つになる子供を負ぶっている。子供は「自分」の子であり、眼がつぶれて盲目である。
 「自分」は青田の中を歩いて行く。背中にいる子供はやたらに「自分」に話しかけ、そして指図をする。子供の言う通りに歩いていくと、「自分」は森の中に入り、ある杉の根に着いた。このとき、<御父さん、その杉の根の処だったね>と子供が言う。<うん、そうだ>と「自分」は思わず答えると、子供はさらに<文化五年辰年(たつどし)だろう>と言い、さらに<御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね>という。
 「自分」の頭の中は百年前に1人の盲目な人間を殺したという自覚が忽然(こつぜん)として起こった。そして、背中の子供は石地蔵のように重くなった。

 子供の最後の会話を聞いてどきりとしない読者はいないであろう。私も驚いた。はっとしたと言ったほうがよい。背中の「自分」の子供は百年前に殺した盲目な人間の生まれ変わりだったのだろうか。漱石は遠い過去において誰かを殺した意識があったのだろうか。たいへん興味が湧く内容である。

 第九夜の話は哀しい。
 戦争がはじまりそうな世である。家には若い母と3つになる子供がいる。父はどこかに行っていない。母は夜になると子供を背負って八幡様の拝殿に行く。そして祈る。夫が侍であるので、弓矢の神である八幡様に願をかけるのである。それから子供を背中からおろし、細帯でもって子供を縛り、その片端を拝殿の欄干に括(くく)りつける。そして御百度を踏む。夫の無事を痛切に祈るのである。
 毎晩、母は子供を背負って八幡様に行って。御百度を踏んだ。しかし、夫はすでに浪人の為に殺されていたのである。

 第一夜の話はロマンチックである。
 女は死にそうである。死ぬ間際に女は「自分」に<死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓に待っていて下さい。又逢(あ)いに来ますから>と言った。そして女は死んだ。
 「自分」は女の言った通りに真珠貝で穴を掘り、その中に女を埋めた。そして星の破片の落ちたのを拾って土の上に乗せた。その破片は丸かった。私は墓の前で待った。太陽が東から出て西に沈むことが何度も何度も繰り返された。
 いつしか丸い石の下から「自分」の方へ向いて青い茎が伸びてきた。その茎が自分の胸まで伸びてきて、その先端の一輪の蕾がふっくらと花びらを開いた。「自分」はその花びらに接吻し、そして<百年はもう来ていたんだな>と気が付いた。

 漱石はだれかに恋をしたことがあるのだろうか。そしてそのだれかはすでに亡くなっているのだろうか。漱石はその女の人を忘れられないでいるのか。
 実際、漱石には思い焦がれた女性がいてその女性は遠い昔に亡くなっているという話が真しやかに言われている。

 「夢十夜」で漱石は何を言いたかったのであろうか。この作品は漱石文学の核に迫っているように私には思えてならない。

 
夏目漱石「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」を読む

 夏目漱石は「門」を執筆したあと、持病の胃潰瘍が悪化し、明治43年8月には修善寺において大量の血を吐き、30分近く仮死状態になった。これは修善寺の大患といわれている。 漱石と胃病は切っても切れない関係にある。漱石が職業作家になって以来の作品を読むたびに、このような作品を書いているとさぞ胃が悪くなるだろうなと私はよく思ったものだ。とにかく、「虞美人草」以降の作品は深刻なものばかりで、漱石自身緊張の連続であったに違いない。

 漱石の「彼岸過迄」は修善寺の大患後、しばらくして朝日新聞に連載されたものである。明治45年の1月1日から4月29日まで連載されるのだが、「彼岸過迄」というタイトルは、彼岸過ぎまで書くというつもりで付けたらしい。いかにも漱石らしい付け方だが、他によいタイトルが浮かばなかったのかもしれない。
 「三四郎」「それから」「門」と続けて読み進めて「彼岸過迄」を読むと、前の3作とはかなり趣の違ったものに思える。初めて読んだときは主題がわからず、正直難しい小説だと感じた。ある意味「三四郎」「それから」「門」の主題は明確であるのだが、「彼岸過迄」の主題は何度となく読んでもなかなかわからない。一体漱石はこの小説で何をいいたかったのであろうか。
 ただ、主題は漠然としているが、内容はとても深いものに思える。せっかく胃潰瘍が直っても、またぶりかえすような小説であると私は思った。

 「彼岸過迄」の表向きの主人公は田川敬太郎という大学を出たばかりの就職浪人である。敬太郎は職を探すのだが、なかなかいい口がなかった。敬太郎の下宿には森本という新橋駅で働いている男もいた。敬太郎は森本と親しくなり、言葉を交わすようになった。ところが突然、森本は下宿から夜逃げしてしまった。下宿代をかなり溜めていたらしい。
 しばらくして森本から敬太郎に手紙がきた。森本は満州に行き、そこで職を得たと書いてあった。手紙の最後に森本が下宿に残したステッキをかたみとして敬太郎にくれると書いてあった。そのステッキの頭には蛇が彫られてあり、玄関の傘立てに忘れられたように置かれていたのである。敬太郎はこのステッキをもって職探しに勤しんだ。
 敬太郎の大学時代の友人に須永市蔵というものがいた。実は「彼岸過迄」の本当の主人公はこの須永である。須永によって、敬太郎は実業家である須永のおじの田口を紹介された。敬太郎は田口から探偵みたいな仕事をまかされた。この仕事によって、須永のもう1人のおじである松本を知ることになる。田口は須永の母親の妹の夫、松本は母親の実弟である。
 須永は大学を卒業しても就職しないで、家でぶらぶらしている身分である。いわゆる高等遊民であった。須永の父親は早くに死んで、それなりの財産を残しておいてくれたのである。松本もまた高等遊民であった。
 須永には千代子という従妹がいた。千代子は田口の娘である。千代子が生れると須永の母親は田口夫婦に将来この子を市蔵の嫁にくれと頼んだ。田口夫婦は了承した。
 須永の母親は千代子と須永を執拗に結婚させようとしたが、須永は煮えきらなかった。須永自身千代子のことを愛しているかどうかわからなかった。ただ、千代子に結婚相手らしきものができると嫉妬した。このことで須永は千代子から卑怯者呼ばわりされた。
 なぜ、須永の母親が千代子との結婚を望むのか。松本がその理由を、須永は母親の実子ではないからだと説明した。須永は父親が下女に生ませた子であったのだ。母親は下女を相応の金を与えて実家に帰し、子供が生まれると引きとった。母親は自分の血のつながったものを須永の嫁にしたかったのである。
 血はつながっていないけれども、須永と母親はたいへん仲のよい親子であった。須永は母親と自分との本当の関係を聞かされても、千代子と結婚をしようとはしなかった。
 物語は結論のないままに終わる。

 漱石は明治という時代をたいへん意識した作家であるが、「彼岸過迄」には時代色がない。人間の根源に迫った作品といえる。あえて主題をあげるとすると、人間の存在のあやうさといったところである。須永にとってあやうい存在が自然な形であったのである。
 「彼岸過迄」を書く頃になると漱石は人間そのもの存在を追及しはじめたのである。漱石の胃潰瘍は決して直らないのである。

 
作文道場夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年1月5日(旧暦)(慶応3年)2月9日ー1916年(大正5年)12月9日
本名、金之助。江戸出身。帝国大学英文科卒。
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