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読書感想文
 
岡本かの子「老妓抄(ろうぎしょう)」を読む

 画家の岡本太郎は鬼才であった。川崎市の生田には岡本太郎美術館がある。岡本太郎の母親が岡本かの子である。かの子の夫すなわち太郎の父親は画家であった。
 かの子・太郎の親子はこの親にしてこの子ありといえるほど似通っている。2人とも自由奔放に生きた。仕事においては、かの子は小説に、太郎は絵画に才能を遺憾かく発揮した。
 岡本かの子は明治22年(1889年)に豪商大貫家の東京にある別邸で生まれた。生まれは東京でも育ちは違う。大貫家の本宅は神奈川県の高津村(今の川崎市二子新地)にあった。大貫家は大地主で、かの子は大貫家の本宅で育った。大貫家の地所は広大で、村のどこに行くにも大貫家の地所を通らなければならないほどであったと、現在でも語り継がれている。
 二子新地にはかの子の記念碑があり、その除幕式には川端康成や瀬戸内晴美が出席したらしい。瀬戸内晴美(現在では寂聴)は岡本かの子研究の第一人者といってもいいほどの作家である。かの子はある意味仏教に救いを求めた人で、煩悩の中で苦しんだ人でもある。瀬戸内とは強いつながりがあるように思われる。
 私は川崎市で生まれ、現在でも川崎市に住んでいる根っからの川崎っ子である。岡本かの子は郷土が生んだ一流の文学者であると私は思っている。

 私が初めて岡本かの子の作品に触れたのは「老妓抄」であった。読んだあと、何となく含蓄のある作品だとは思いながら、評判通りのすぐれたものだとまでは感じなかった。私が若くて理解する力がなかったのであろう。
 その後、「老妓抄」のことが気になり、何回か読み直してみた。読み直すごとに味わい深くなり、今回読んでみて、名作の中の名作であるという感を強くした。

 「老妓抄」の主人公は初老といってよい芸者の平出園子(作中では老妓と呼ばれている)である。小さい頃から芸者の道にはいり、酸いも甘いも経験し、それなりの財産を築きあげた。何人かの芸者を抱えるようになり、なかば引退した身分でもある。生活は悠々自適である。傍から見れば若いときから苦労をして一財産を作った成功者と見えないこともない。老妓は独身で、養女が一人いる。
 だが、功なったと思われている老妓の胸の内は誰にもわからない。彼女は自分の人生に対して不満をもっていたのである。その不満とは身も心も捧げてあることに集中したことがなかったということだ。男に対してもそうだ。身を焼かれるような本当の恋を老妓は今までしてこなかったのである。男との関係は畢竟金ずくであった。老妓は手練手管で世の中をうまく泳いできたと思っていた。彼女は自分の人生に物足りないものを痛切に感じていたのである。
 老妓はあるとき、柚木(ゆき)という若い男の面倒をみることになった。柚木は山っ気のある男で、何か発明して特許をとって大金持ちになりたいという野望をもっていた。老妓は柚木を経済的に援助するのである。回りの人は、柚木のことを老妓の燕(つばめ)ではないかとうわさする。
 生活が安定すると柚木の野望はしぼんで、柚木自身老妓に囲われた状態に嫌気がさしてくる。そして、柚木は老妓のもとから逃げ出す。しかし、逃げ出しても老妓は柚木を探しだして連れ戻すのである。この逃亡劇がこれからも何回か繰り返し起こるであろうという余韻を残してこの物語は終わる。
 物語の最後、老妓の作った和歌が紹介される。

 年々にわが悲しみは深くして
        いよよ華やぐいのちなりけり

 果たして老妓は柚木に惚れたのであろうか。なんとも奥深い作品である。老境にはいった女の魂をあぶりだしたような作品である。年をとりながら読み返すとより味がでてきそうな作品である。
 私はこれからも何度も「老妓抄」を読むであろう。

 
作文道場岡本 かの子(おかもと かのこ)。
1889年3月1日 - 1939年2月18日。
東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。漫画家岡本一平と結婚し、画家岡本太郎の実母。
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