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読書感想文
 
尾崎紅葉「金色夜叉(こんじきやしゃ)」を読む

港区芝にある尾崎紅葉生誕の地 尾崎紅葉の「金色夜叉」のなんといってもすばらしのは、これだけの長編を一気呵成に読ませるストーリー展開である。何度読んでもおもしろい。
 美人の宮と第一高等中学校の生徒である貫一。この二人のあまりにも有名な別れの場は熱海であった。
 <……。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!可(い)いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったら、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ>
 この貫一のせりふほど、広く深く大衆の心に沁みこむものが他の作品にあったろうか。
 今回、「金色夜叉」を読み直して、この作品の文体に巧緻な細工が施されているのに気がついた。地の文は文語体で、会話の文が口語体で書かれている。一応、「金色夜叉」は言文一致体で書かれていることになっているが、なぜ紅葉は文語体、または口語体に統一しなかったのだろうか。この作品が読売新聞に連載され始めた明治30年はそろそろ言文一致体の文が確立された時期である。事実、紅葉は「多情多恨」は口語体で書いている。
 文語体と口語体をチャンポンに使うことの意図は何だったのだろうか。どこか前近代をひきずっているよというメーセージなのだろうか。
 勧善懲悪という言葉が示すように前近代は表向きは善と悪がはっきりしていた時代である。そして、悪をなしたものはひどく懲らしめられたのである。女性がなす悪の最たるものは不義密通である。現代的にいうと、不倫である。不義密通したら殺されても文句はいえなかったのである。
 宮は貫一に対して、不義をしてしまった。宮と貫一は将来を約束した仲であったのである。宮は貫一の将来を慮って、富山唯継(ただつぐ)に嫁ぐのだというが、貫一にとってはそれは完全な裏切りであった。
 金に靡いた宮を見返すべく、貫一は世間から極悪非道といわれている高利貸しの手代となった。貫一は高利貸しの世界で頭角をあらわし、それなりの資産をなした。それとは反比例するように、宮の境遇は悲惨なものになっていく。
 宮は貫一と別れて、初めて、自分が貫一だけを愛し、夫たる富山を愛することはできないと知るのである。愛のない夫婦生活、これほど不幸なことはない。不義をした結果、宮は苦しむことになる。そして、苦しめば苦しむほど、宮の貫一に対する思いは募っていき、あまりの苦しさに宮は行動を起こす。それは、貫一に許しを請うことである。
 おそらく「金色夜叉」の主題とは、「自分を裏切った人間を許せるか」というものであろう。「金色夜叉」が近代文学である決定的な理由は、裏切った人間は苦しんで死ぬという単純な構図になっていないことである。
 不義は前近代においては許せなかったのである。不義を犯したものは苦しんで当然であった。許すとか許さないという範疇に不義ははいらなかった。ところが明治という近代社会になると、不義はまだまだ法律上は罰せられるが、内面的には許されてもいいのではないかと主張するものたちがあらわれ始めた。男と女の仲は自然なもので、自然の情まで、規制できるのかということである。漱石はかれの作品の中で堂々と不義を犯す男と女を描いている。「それから」の代助、「門」の宗助にしてもお縄を頂戴しても文句はいえなかったのである。紅葉と漱石は同じ1867年(慶応3年)の生まれであり、彼ら二人の生きた時代は、前近代と近代のはざ間に位置するような時代であった。
 先に述べた文語体と口語体の使用を、古い日本と新しい日本の葛藤の構図を示すものと考えられなくもない。

 「金色夜叉」は未完に終わった。紅葉が病魔に斃れたからである。はたして紅葉が書き続けていたら、宮と貫一の結末はどうなったであろうか。
 おそらく、独断的にいわせてもらえば、貫一は宮を救ったであろう。それは、貫一が古い型の人間ではなく、新しい型の人間であるからだ。古い型の人間とはたとえば富山唯継のような人間で、新しい型とは苦悩する人間のことである。貫一は苦悩の末、宮を許し、そして、宮を救うはずである。
 「金色夜叉」が久しい間、日本人の魂をとりこにした理由は、この作品の底に、苦悩の末、人が人を許すという人間的真情がよこたわっているからであろう。

※:写真は、港区芝にある尾崎紅葉生誕地の案内板です。

 

写真は、熱海市にある貫一お宮の像です。

尾崎紅葉の句碑

※:写真は、熱海にある尾崎紅葉の句碑です。

研友社の案内板

※:写真は、靖国神社傍にある研友社の案内板です。

尾崎紅葉の墓所

※:写真は、青山墓地にある尾崎紅葉の墓所です。

作文道場尾崎紅葉(おざき こうよう)
慶応3年12月16日(1868年1月10日) - 明治36年(1903年)10月30日)
小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」などの号も持つ
江戸生れ。帝国大学国文科中退。
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