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読書感想文
 
下村湖人「次郎物語(じろうものがたり)」を読む

 夏目漱石の「坊っちゃん」にしても、島崎藤村の「破戒」にしても主人公は先生であるが、これらの作品は教育小説とは呼ばれない。もし、教育小説というジャンルがあるとすれば、その筆頭はおそらく下村湖人の「次郎物語」であろう。
 そもそも教育小説とは何かと定義すれば、人を教育するとはどのようなことかと真摯に論じた小説とまずいえる。そしてさらに付け加えると、先生と生徒とのふれあいというよりは先生の教育理念・思想・哲学なりがどのような形で生徒を感化し、感化された生徒がどのように精神的成長をとげていくかをしるした小説ともいえる。

 「次郎物語」を教育小説たらしめているのは、作者下村湖人の経験に負うこと大である。下村は佐賀県の出身で、佐賀中学、第5高等学校、そして夏目漱石がまだ教鞭をとっていた東京帝国大学英文科に学び、卒業して、母校の佐賀中学の教師になる。その後、いくつかの中学そして高等学校の校長を歴任し、47歳という若さで学校教育界から引退し、それから社会教育特に一般青壮年の指導にたずさわることになる。教育一筋の人といってよい。
 「次郎物語」は5部からなっており、1部が雑誌に連載され始めたのが昭和11年、下村が52歳のときであった。5部を書き終えたときは下村は70歳になっていた。

 「次郎物語」の主人公は本田次郎である。意図的だとは思うが、この作品には次郎が中学まで暮らす村や町の名前が記されていないし、次郎が生まれた年代も記されていない。下村の生い立ちと風景描写とから佐賀県だと思われるが、それが東北のある村であってもそれはさして重要な問題ではない。次郎が中学の5年生のときに5・15事件が起こることから考えて、次郎は大正の初めに生まれたことになる。物語は次郎が生まれる大正の初めから昭和の2・26事件の直後までに渡って展開されていく。
 次郎は男兄弟の真ん中の子で、次郎は他の兄弟と違って、生まれ落ちるとすぐに里子に出された。実の母親の母乳がでなかったからである。里子に出されたことが次郎の人格形成に大きな影響を与える。
 次郎は勝気な子として成長する。実の母や祖母との確執、兄弟に対する嫉妬、そして学校の生徒たちとの不和の中である意味たくましく成長していく。次郎にはつねに孤独感が襲った。だが、父の俊亮が次郎のことをやさしく見守った。
 次郎が自己に目覚め魂を成長させるのは中学に入学して、そこで朝倉という先生に出会ってからだ。「次郎物語」の1・2部は次郎の肉体的・精神的成長を中心に記されているが、3部以降は朝倉の教育理念・思想が作品の主題として踊りあがってくる。3・4・5部の表の主役は次郎、隠れた主役は朝倉といった感じである。この2人を補完するという意味で次郎の父の俊亮そして大河無門がいる。
 昭和7年の5・15事件にたいしての批判によって、朝倉は中学を追われ、東京へと移った。それを追うように次郎も中学を自主退学し、東京へと向かう。
 朝倉は一般青年を指導する友愛塾の塾長となる。東京の私立の中学を卒業した次郎は友愛塾で朝倉の助手として塾の運営にあたる。
 友愛塾の教育理念、それは朝倉の教育理念でもあるが、それは「自由と独立」の精神である。自分の2本の足で地に立ち、そして自由に考え決断する。決断する根拠になるのが正義であった。それなら正義とはとなると、それは愛につながるものである。
 朝倉の教育理念は2・26事件を迎えていよいよ反動的なものと当局に睨まれることになる。
 「次郎物語」5部は友愛塾が閉鎖される直前で終わっている。本来なら6部・7部と続くのだが、下村は5部を書き上げるとまもなくこの世を去った。

 「次郎物語」の主題を一口でいうと、次郎という1人の人間が環境と戦いながら自己を磨いていくということである。環境だけでなく当然内面的な戦いもある。女性に恋をすることも次郎には内面的な戦いであった。
 私は「次郎物語」を読んで、人間はやはり環境と戦わなければならなものだと痛切に感じた。戦いながら調和していく。調和していく力が「自由と独立」の精神だと私には思われた。怖いのは環境を無批判に受け入れることである。おそらく、戦前の軍国主義を目の当たりにした下村は痛切に教育の重大性を認識していたに違いない。

 「次郎物語」は教育の概念を取り払ってもたいへんおもしろく読める大作である。大河小説といってもよろしい。いったん読むと本を措くのがいやになるくらい一気に読みすすめていくくらいおもしろい。
 それでも「次郎物語」は特に、先生と呼ばれている人、またはこれから先生になろうとしている人には是非とも読んでほしい一書である。

 
作文道場下村湖人(しもむら こじん)。
1884年10月3日-1955年4月20日。小説家・社会教育家。佐賀県出身。東京帝国大学英文科卒。
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