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読書感想文
 
谷崎潤一郎「痴人の愛」を読む

 谷崎潤一郎は悪魔主義者と言われるように、悪魔を描くのがうまかった。谷崎が描いた悪魔の中で最たるものが「痴人の愛」のナオミであろう。ただ、谷崎に関して、悪魔と言うときは美と同義である。ナオミの夫である譲治はこの女の美に犯され、魂を奪われた状態になってひたすらナオミの体を追い求める。
 谷崎の作品は初めて読むとほとんどが衝撃的なものばかりであるが、「痴人の愛」はその中でもとりわけ衝撃的なものであった。まず、驚いたのが、比較的自由であったという大正末期とはいえ、大胆な描写が許されたことである。ナオミが黒いコート1枚を着て、数人の男たちと一緒に鎌倉の浜辺を歩く件(くだり)は圧巻である。ナオミは酔っており、コートの下は何もまとっていなかった。ナオミはその場で出会った譲治の前で、コートの前をパット開いた。

 「痴人の愛」は異常な世界の物語である。異常な世界を描くことは谷崎の得意とするところであり、「痴人の愛」の世界の異常さは男という生き物の本質を赤裸々に描いた異常さといってもよい。谷崎はこの作品で、彼自身の女に対する崇拝を思う存分描いたと言ってもよい。何しろ<私は女の足に踏まれて死にたい>と言った人である。谷崎の女の足に対するフェティシズムはつとに有名である。
 ナオミは倫理感の欠如した淫猥な女だ、譲治は本能に屈した弱いやつだと言うのは簡単である。だが、この作品を一読したあと、どこかで譲治の行動を肯定してしまうのは私だけではないであろう。男は美しい女、そして魅力的な女に、我を忘れて跪きたいという欲求をつねにもっているのではないのか。その男の深層心理を「痴人の愛」は完璧に描いているということであろう。
 「痴人の愛」は自然主義文学と言われているものよりもはるかに現実を直視したものと私には思われた。道徳・倫理という仮面をかぶった人間たちの仮面をとった素顔が「痴人の愛」かもしれない。

 「痴人の愛」は河合譲治という高等工業(現在の東京工業大学)卒業の技術者の告白体の小説である。譲治は月150円の給料をもらう高給取りである。この小説は次のような書き出しで始まる。

<私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。>

 たいへん興味をそそられる書き出しである。すっと物語の世界に入ってしまいそうな書き出しでもある。
 譲治の妻はナオミと言う。実際、譲治・ナオミの夫婦生活は世間に類を見ないものであった。
 ナオミは数え年15歳で、浅草のカフェーで女給見習いとして働いていた。ナオミは浅草近くの千束町の生まれでそこで育った。千束町というのは吉原遊郭のある町である。河合譲治はナオミの勤めるカフェーの客でナオミに興味をもった。譲治は将来、結婚するつもりでナオミと同棲した。譲治はナオミが英語とピアノを勉強したいというのでやらせた。ナオミはほとんど教育らしい教育を受けてこなかったのである。
 15歳のナオミは成長するにしたがい、その肉体も少女のものから女のそれへと変化していった。同棲してしばらくして譲治とナオミは肉体的に結ばれ正式な夫婦となった。
 譲治はナオミが浮気などするような女だとは思ってもいなかった。だが、ナオミは女になるにつれて本性を剥き出しにした。ナオミは真からの多淫な女であった。倫理感などまったくない。言い寄ってくる男とは平気で同衾した。すべてをナオミのために捧げてきた譲治もさすがに堪忍袋の緒が切れて、ナオミを家から追い出してしまった。
 ナオミを追い出してすぐに譲治は後悔した。ナオミが恋しくて恋しくてたまらなかった。そんなとき、ナオミがひょっこり荷物を取りに来たといって譲治の家を訪れた。それからナオミはたびたび譲治の家を訪れた。ナオミは譲治と友達付き合いをしたいと言ったがどだい無理であった。譲治はナオミに全面的に降伏し、彼女がどんな男と付き合おうが、何をしようが黙認し、そして彼女に贅沢をさせることを承諾した。そして再び夫婦となった。

 「痴人の愛」ほど露骨に男が女にひれ伏す小説が他にあるだろうか。淫猥な美女を前に、エリートの男が完全な奴隷状態になって、その美女にすべてを捧げる。
 小林秀雄に言わせると、谷崎は「痴人の愛」でもって見事に「社会化されたマゾヒズム」を描くことに成功したそうだ。

谷崎潤一郎「盲目物語」を読む

 美というのはどのような人が本当に見ることができるのであろうか。美を実感できるのは逆説ながら目の見えない人ではなかろうかと谷崎潤一郎の「盲目物語」を読んで私はつくづく思ってしまった。
 「盲目物語」は実に美しい小説である。盲目の法師すなわち座頭が信長の妹のお市の方の生涯について語るのである。この作品を読み終えたとき、私はお市の方を描写する法師は目の見えない人間だということに驚かざるを得なかった。今さらながら谷崎の技法には畏れいるばかりである。谷崎は美を描くことに執念を燃やし続けた作家である。
 ベートーベンは20代半ばでほとんど耳がきこえなくなったらしい。だからこそベートーベンは世界最高といわれる美しい旋律を創りあげることができたのかもしれない。盲目だからこそ女性の真の美を語れると谷崎は思ったのであろうか。

 「盲目物語」はお市の方の側に仕える盲目の法師弥市の語りによって進められる物語である。お市はあの織田信長の妹である。お市は浅井長政のもとへ嫁ぐ。これはあきらかに政略結婚であった。信長は天下布武の理念のもと、天下人になろうとしていた。京の都を押さえるためにも近江の浅井家との連合は必要であった。お市は兄の戦略のため近江へと向かったのである。
 だが、政略結婚とはいえ、お市は長政に嫁いで幸せであった。長政は勇敢で男らしくそしてお市にはやさしかった。長政とお市の間には1人の息子と3人の娘ができた。3人の娘は歴史上に名を残す有名な女性になった。特に長女はお茶々といって、後年、豊臣秀吉の側室となり、淀君と呼ばれ秀頼を生む。三女は徳川家第二代将軍秀忠の正室になり、三代将軍家光の母となる。次女は京極高次の室となる。
 信長は天下をとるためには手段を選ばない人間である。信長は浅井との約束を反故にし、朝倉家を攻めようとした。朝倉家と強固な同盟関係にある朝井家は信長と干戈を交えることを決意する。世に言う姉川の合戦である。浅井・朝倉両軍は織田軍に敗れ、浅井の小谷城は落城する運命になる。お市と娘3人は信長の指示によって助けられる。そのときいろいろと手を尽くしたのが秀吉であった。秀吉は口に出さずともお市のことをいつも気にかけていたのである。長政とお市の息子は近江から離れたところに匿われていたが、信長はお市をうまく言いくるめてその居所を聞き出し、秀吉にその息子を串刺しにして殺すことを指示する。織田信長は自分に敵対する人間は徹底的に滅ぼそうとする人間であった。 清洲にもどったお市は運命に身をまかせた。戦国の世は明日はどうなるか予測がたたなかった。
 織田信長亡き後、織田家の事実上のトップ争いは筆頭家老の柴田勝家と秀吉の2人に絞られた。秀吉は織田信長を本能寺で死に追いやった明智光秀を倒し、周囲から信望を得ていた。2人は権謀術数で権力を手に入れようとした。その間、勝家はお市と結婚した。お市は越前へと向かった。
 結局、勝家と秀吉は戦場で相見えることになる。賤ケ岳の戦いにおいて秀吉は勝利をおさめる。秀吉は城にこもる勝家に命を救うことを申しでるが勝家はこれを拒否する。勝家はお市に秀吉のもとへいくことをすすめるが、お市は勝家と一緒に死ぬことを決意する。3人の娘は弥市にまかされた。弥市は燃え盛る城から3人の娘を必死で連れだした。
 それ以後弥市は生き延び、元和3年(1617年)に昔話としてお市の方について語るのである。

 「盲目物語」はひらがなを多用した特別な文体で書かれている。初めはとっつきにくいが、読み進めていくうちにお市の運命の哀れさとお市の美しさを描くのにはぴったりの文体だと気づかされる。
 「盲目物語」は微に入り細を穿っていろいろと工夫された小説である。芸術家谷崎の面目躍如といったたいへん美しい小説である。

谷崎潤一郎「細雪(ささめゆき)」を読む

 谷崎潤一郎の作品を読んでいると、その見事な関西弁によって、谷崎は関西生まれではないかと思ってしまうが、実は、谷崎は日本橋生まれの生粋の江戸っ子である。
 谷崎は関東大震災の直後関西へと移り住む。以来、昭和31年まで関西に住むことになる。関西に移住したあと、谷崎の書く作品もそれまでのものとは質的に変化した。それは谷崎の古典回帰が原因かと思われる。日本の古典を意識した作品が多く書かれるようになった。昭和10年からは「源氏物語」の現代語訳をはじめる。谷崎は古典が醸し出す美を自らの作品に再現した。そのことを強烈に意識したのがこれまた古典を意識して作品を書いた三島由紀夫であった。

 「源氏物語」の現代語訳を書き終わった谷崎が着手したのが長編「細雪」である。谷崎の夥しい作品の中で、「細雪」は最も長いものである。稿を起こしたのが昭和17年である。しかし、時局がら書いた原稿がそのまま本になることはなかった。1回分だけ雑誌に載せるや、当局が掲載を禁止し、本にすることを許さなかった。「細雪」には時の政府・軍部を批判するような内容は一切書かれていなかった。この一事をみても当時の社会がいかに暗黒で閉鎖されていたかがわかろうというものである。

 「細雪」は神戸の蘆屋を舞台にした旧家の四姉妹の物語で、谷崎の古典趣味並びに西洋趣味が遺憾なく発揮されている。また、戦前の上流階級の家庭の内側のことが微に入り細を穿って描写されているので高尚な風俗小説の趣もある。たいへん長い小説であるが一気に読んでしまうほどおもしろい。そのおもしろさはやはり登場人物たちの使う関西弁の妙味とリズミカルな美しい地の文章が一役も二役も買っているのは間違いのないところである。正直、私は美しい日本語を十分に堪能させてもらった。
 物語では昭和11年から16年までの蒔岡(まきおか)家に起こったさまざまな出来事について語られている。主人公は蒔岡家の四姉妹、鶴子・幸子(さちこ)・雪子・妙子であるといってよいが、鶴子・幸子は結婚しているため、独身の雪子・妙子がいやでも中心になって物語は進んでいく。とりわけ物語の大きな筋が雪子の見合である。
 「細雪」は雪子の見合ではじまって、見合で終わっている。見合は都合5回行われるが、5回目にやっと決まるのである。相手は公家の庶子である。34歳の雪子はめでたく平安の時代から続く由緒ある宮家の人間と結婚することになる。「細雪」の中では気品のある伝統的な美人の雪子は<聖>の象徴として扱われており、逆に、四女の妙子は<俗>の象徴として扱われている。
 四姉妹の中では妙子1人が異性関係において伝統的嗜(たしな)みからはずされた女であり、自由奔放に男と付き合った。20歳位のとき、船場の老舗のお店の息子と駆け落ちみたいなことをして、それ以来、物語の終わるまで蒔岡家の人々は妙子の男問題に悩まされるのである。
 物語の中で四季折々の出来事、近所との付き合い、四姉妹の軋轢などが描かれるのであるが、圧巻の1つは神戸地方を襲った大洪水のことである。洪水の場面を鬼気迫る文章で描いている。妙子はこの洪水で九死に一生を得る。
 もう1つ圧巻は幸子の一家・雪子・妙子が毎年行く京都の花見である。京都の描写は特にすばらしく、古今集の世界がまさに現代に蘇ったようである。
 谷崎は京都を深く愛した。谷崎の墓は知恩院にある。

 「細雪」は戦前の日本の現代的絵巻といった感じの物語である。谷崎にとっては関西という土地が本当に肌にあったのであろう。1つ1つの描写に関西の風土に対する愛着を感ずる。それに対して東京を無味乾燥な土地として描いている。
 「細雪」は戦後雑誌に連載され、昭和23年、単行本として刊行された。戦争によって物質的・文化的に窮乏状態にあった日本人にとって一瞬生活の苦しさを忘れさせる古きよき日本の伝統を伝える物語と写ったであろう。

 
作文道場谷崎 潤一郎(たにざきじゅんいちろう)。
1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日。
小説家。『痴人の愛』『細雪』など多くの秀作を残し、文豪と称された。
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