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読書感想文
 
田山花袋「田舎教師」を読む

木瓜の花 「田舎教師」を初めて読んだのは浪人のときだ。何故か暑い夏の日を覚えている。予備校の帰りのクーラーのきいていない電車の中で「田舎教師」を一心不乱に読んだ。おもしろいとは思わなかった。読めば読むほど暗い気持ちになった。特に、主人公の小学校の教師林清三が父親と一緒に宿直室で1つの蒲団にくるまって寝る場面に出くわしたときは暗澹たる気持ちになった。主人公林清三が北関東の田舎教師で教鞭をとりながら、世に出て成功してやろうという気概をもち、いろいろなことに手を出すのだが、ほとんどうまくいかないという閉塞状態に陥っていることと、私自身、来年大学に合格できるのだろうかという不安とあせりのないまぜになった気持ちとが重なって、ますます「田舎教師」は暗いものになっていったのかもしれない。

 それから30年以上の月日がたち、私も50歳を超えた。林清三が20歳そこそこで亡くなっているから、私はかれの2倍以上も長く生きているのである。年を重ねるということがどんなことか、今回、「田舎教師」を読み直して改めて考えさせられた。と同時に人生とは何かということも。

 主人公林清三は中学校を卒業すると、羽生の奥(現:埼玉県羽生市)の小学校の教師として赴任する。小学校の教師になることは清三の本意ではなかった。生活の資を稼ぐためにやむを得ずなったのである。清三もかれの友人たちのように、上の学校を目指したかったのである。だが、かれにはできなかったのである。かれの父親は没落士族の例に漏れず、商売に失敗して破産状態になり、家は窮迫する。とてもではないが清三が上級学校に行ける状態ではなかった。

 清三は当時の明治の青年ならだれでもが望む立身出世をもあきらめたわけではなかった。なんとか、田舎の小学校の教師の立場から脱却して、偉くなりたいとそれなりに奮闘する。文学者を志し、音楽家を志し、はたまた心理学、哲学をも勉強した。だが結果などすぐ出ない。文学はあきらめ、音楽学校は不合格になる。清三は上級学校へ進む友人たちを羨みながら、1人自分の殻に閉じ籠もり、身を持ち崩していく。清三は人知れず遊郭通いをはじめた。その遊郭で、馴染みの女をみつけ、将来を約束するような関係になる。若い清三は真剣に女に恋する。しかし、結果はわかっていた。女はある金持ちに身請けされ、清三のもとには女からの別れの手紙だけが残された。清三は裏切られたと憤るが、それも後の祭り。ところがこれを奇貨として、清三は再び真面目に生活するようになる。中学校の教員になろうとして、植物学の勉強をし始める。真面目になった清三に病魔が襲う。1日1日と体は衰弱し、そして、寂しく死んでいくのである。

 物語は昭和天皇生誕の1901年から1904年の日露戦争における遼陽の会戦までの約3年間に渡っている。清三にとっては少年からやっと青年になったというところだ。花袋は清三の20いくつかの生涯をこの3年間に凝縮させたのである。
 若い人が死ぬというのは辛いことだ。私にも若くして死んでいった友人がいる。花袋はただ、若い人の死を描きたかったのだろうか。清三は花袋の創作した人物ではなく、モデルがいる。花袋は義兄の太田玉茗(作中では寺僧山形古城)からかれの寺に寄寓していた若き文学青年の日記を見せてもらい、この作品を書くことになった。その若き文学青年は文学を志しながら、家は貧しく、そして、病を得て死んでいったのである。
 若い文学青年の死は、花袋の同情をひいたのだろうが、花袋自身、自分の人生と重ね合わせたのかもしれない。花袋も、学歴はほとんどなく、19歳で尾崎紅葉の門下生になり、刻苦勉励、艱難辛苦して長い下積み生活の後作家となったのだ。だが、境遇が似ていたから創作意欲が湧いたのではないだろう。花袋はあきらかにある意図をもってこの「田舎教師」を書いたに違いない。

 「田舎教師」にはこれといった主題が見当たらない。挫折しても、失恋しても、それを深く掘り下げて追求してはいない。悩み、悶える清三の生活を淡々と描いている。友を羨み、また友に助けられ、同僚をたぶんに軽蔑しながら、同僚ともうまくやっていく。この淡々と描かれた中で浮かび上がってくるのはやはり清三の「生」である。

 この作品全体に色彩を与えているのは見事なまでの風景描写である。花袋の面目躍如といったところだ。村の風景、町の風景、季節によって変わる自然の風景、そして圧巻は利根川の土手の風景である。いたるところに植物の名が見える。間違いなく花袋はこれを意図的に用いている。人知れず咲いている土手の花。人知れず生きている清三の姿とうまく重なる。
 <利根川の土手にはさまざまの花があった。ある日清三は関さんと大越から発戸までの間を歩いた。清三は一々花の名を手帳につけた。−みつまた、たびらこ、じごくのかまのふた、ほとけのざ、すずめのえんどう、からすのえんどう、のみのふすま、すみれ、たちつぼすみれ、さんしきすみれ、げんげ、たんぽぽ、いぬがらし、こけりんどう、はこべ、あかじくはこべ、かきどうし、さぎごけ、ふき、なずな、ながばぐさ、しゃくなげ、つばき、こごめざくら、もも、ひぼけ、ひなぎく、へびいちご、おにたびらこ、ははこ、きつねのぼたん、そらまめ。>
今あげた花の名をいくつあなたは知っていますか。これらの名も知れない花も「生」を生きているのである。20歳そこそこで死んでいった清三にもそこそこ立派な「生」があったのだ。先程述べた花袋の意図とはまさにこの「生」である。何も長生きしたから生を全うしたわけではない。苦しみ、もがき、挫折して、そして小さな幸福を得て「生」を生きる。これこそ花袋文学の核心となるものである。 
  「人生」の目的は長く生きることではなく「生」を生きることであると私は50歳を過ぎてこの「田舎教師」を読んで痛切に感じた。

 
田山花袋「蒲団(ふとん)」を読む

 日本の近代文学を考えるにおいて、私小説なるものを除いて考えることはできない。ある時期、私小説は圧倒的な力をもち、私小説でなければ小説でないといわれた。
 私小説とは日本独自の小説形態であり、自然主義文学から派生したものである。日本の自然主義文学は島崎藤村の「破戒」をもって嚆矢(こうし)とする。この「破戒」に触発され、「破戒」が出版された翌年すなわち明治40年に書かれたのが田山花袋の「蒲団」である。
 「蒲団」はたいへんな反響だった。現在の読者からすればそれほどの内容ではないけれども、明治の読者にとっては衝撃的であったのである。花袋はこの作品によって一躍文壇の寵児になった。小説家になることを志していた花袋はそれまで長い間不遇であった。文学史では自然主義文学は「破戒」「蒲団」をもって最高傑作としている。
 「破戒」は確かに衝撃的であったと思う。しかし、「蒲団」は巷間言われているようにそんなに衝撃的であったのか。
 「蒲団」を初めて読んだとき衝撃的な感じは受けなかった。今回再読してみて、私は以前とはまったく違った印象をもった。それはある種の親しみといってもよい。別の言葉でいうと、中年男の悲哀に対する共感とでもいおうか。
 花袋は栃木県に生まれ、幼い頃に父親を西南戦争で失い、貧困の中で育つ。20歳のときに硯友社の尾崎紅葉の許を訪れ、小説家になることを志す。しかし、なかなか芽が出ず、雑誌の編集者などをして糊口をしのいだ。小説は書き続けていたが、「蒲団」でもって小説家として完全に一本立ちできた。
 花袋はほとんど学歴らしきものはもっていなかったが、生来の努力家で西洋文学を読み漁った。「蒲団」にもたくさんの西洋の小説家の名前や作品名がでてくる。また、花袋は真面目な人で、自然文学者に見られるようなたとえば藤村のような破天荒な体験はしなかった。実に地味に生きた人であった。

 「蒲団」の主人公は花袋その人といってもいいような竹中時雄である。一応小説家ではあるが、ある出版社の嘱託となって地理書の編集の手伝いをしている。そのため小説家とはいいながら、毎日決まった時間に職場に向かい、決まった時間に家に帰ってくる。
 その時雄に岡山県のある田舎から女性の手紙が来る。その女性はまだ10代で、時雄の作品のファンである。ぜひとも小説家になりたいから時雄の弟子にしてくれというのが手紙の内容であった。
時雄は彼女が執拗に頼むので弟子にしてやった。女性は芳子といい、美人であった。
 時雄は30代半ばで子もあり、恋愛結婚とはいえ、妻に対しての愛情はさめていた。小説家としてもまだ中途半端な状態であった。その彼の家に若い美人が弟子として住むようになったのである。時雄は芳子の先生という立場で、文学の指導をし、そして生活全般の監督をした。
 時がたつにつれ、時雄は芳子に対して先生が弟子に対する感情とは違った気持を抱くようになった。それは男が女に対する愛情といってもよかった。だんだんその愛情は嵩じてきて、時雄はもだえ苦しむようになった。彼は芳子に恋人がいることを知るに及んでますます苦しみ、生活は荒んでいった。
 恋人とは清い関係でいると思ったが、実際には2人の関係は肉体関係まで進んでいた。このことを知るに及び、時雄は芳子を実家に帰すことを決断する。結局、芳子は恋人と引き離され、岡山へと帰っていった。
時雄は1人残された気持になり、孤独感がつのった。時雄は芳子が寝泊りした2階の部屋にいった。その部屋には芳子がつねに用いていた蒲団と、綿の厚く入った夜着とが重ねてあった。それには芳子の臭いがまだ残っていた。時雄は夜着に顔を押し当て臭いをかいだ。そして蒲団を敷き、それに横たわり夜着をかけ、冷たい汚れたびろうどの襟に顔を埋めて泣いた。

 時雄は何とも情けない男に見えるかもしれない。美人にはからずも振られた中年の男の惨めさがうまく描かれている。時雄は一言も芳子に自分の気持を伝えることができなかったのである。
 「蒲団」は私には人生に倦怠を感じている中年の男の悲哀をしみじみと髣髴させる作品である。そして、現代人が読んでも十分に共感できる作品でもある。

作文道場田山花袋 (たやま かたい)
1872年1月22日(旧暦)(明治4年)12月13日ー 1930年(昭和5年)5月13日。本名、録弥(ろくや)。
栃木県邑楽郡館林町一四六二番屋敷(現在は群馬県館林市)生れ。
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