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読書感想文
 
横光利一「春は馬車に乗って、ナポレオンと田虫」を読む

山形県鶴岡市、致道館(庄内藩藩校) 川端康成の生涯の僚友といったら横光利一である。川端と横光は新感覚派の旗手と称せられる。横光は明治31年(1898年)に生まれ、昭和22年(1947年)に死んだ。1899年生まれの川端とは年齢も近かった。川端は横光が世を去ったとき、弔辞に横光のことを「君は終始頭(こうべ)を上げて正面に立ち、鋭角を進んだ」と記したという。
 川端と横光は新感覚派といわれるが、むろん作風が同じであるわけではない。ようするに志が同じということであろう。彼らの志とはよりよい芸術を築きあげるということか。 私が初めて横光の作品を手にしたのは大学生のときで、その作品は「旅愁」であった。主人公がヨーロッパを旅行する物語で、西洋と東洋を意識した大作であったが、未完に終わっている。よくわからなかったせいかこの作品に対する印象は薄い。だが、私には横光利一は忘れがたい作家になった。
 その後、私は横光の短編を読むようになった。その中で特に印象深かったのが「春は馬車に乗って」と「ナポレオンと田虫」であった。「春は馬車に乗って」は何といっても題名がよかった。私はその題名に魅せられて読んだようなものであった。この題名だけでもこの作品は残ると思った。

 「春は馬車に乗って」はさわやかな題名とは裏腹に暗い、そしてじめじめとした作品である。
 ある海辺の町の家に夫婦が住んでいる。妻は肺病でもう余命いくばくもない。夫は作家で、寝たきりの妻の看病をしながら生活のために原稿を書いている。
 妻は嫉妬深く陰険でさえある。彼女は自分の看病をする夫を口汚くいじめる。一種の夫婦喧嘩である。彼らはつねに言い争う。妻が夫につっかかるのは愛情の表れともいえるし、死を前にして非常に神経質になっているともいえる。2人の喧嘩は繰り返され、そして妻の死期は確実に近づいてくる。死期が近づけば近づくほど妻の夫にたいするいびりは嵩じてくる。妻の口から痰が出始める。妻はそれを自分でとることができないので夫がとってやる。そのときも妻は夫をなじる。
 「春は馬車に乗って」というのは凄絶な夫婦喧嘩の作品である。夫婦喧嘩の果て、2人は本当に結ばれるようになる。2人は完全に死の準備をするのである。
 物語の最後、知人からスウィートピーの花束が彼らのもとに送られてくる。彼らは春を感じる。妻はその花はどこからきたのかと夫にたずねる。夫は<この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒(ま)き撒きやって来たのさ。>と答える。

 「ナポレオンと田虫」は読んで満ち足りた気分にさしてくれる作品である。ナポレオンを揶揄(やゆ)した作品であるがナポレオンが非常に人間的に描かれている。私はこのようなユーモラスで人間の根源的な部分を追及した作品が好きである。
 ナポレオンの腹は田虫に犯されていた。かゆくてしょうがない。日の出の勢いのナポレオンは糟糠の妻であるジョセフィーヌと離婚し、そしてハプスブルク家の娘ルイザを妻として迎える。ナポレオンはこの高貴な娘に自分の腹に田虫が食らいついたことを知られたくなかったが、ばれてしまう。平民のナポレオンにとってはこのことが非常に屈辱的なことであった。彼は自分の強さを誇示するために領土拡大の戦いに次々と挑んでいった。田虫がナポレオンの腹の上で勢力をませばますほど、ナポレオンも勢力をました。そして、最後の決戦ロシア大遠征をする。そのときには田虫も腹のほとんどを犯していた。ナポレオンの没落は見えていた。
 もし、ナポレオンの腹に田虫がなかったら、ロシア大遠征はなかったかもしれないと思わせる作品である。何と人間的な作品であろうか。

 考えてみれば、小説の題材は何だってよい。夫婦喧嘩であろうがナポレオンであろうが立派に小説の題材になる。ただ、それが芸術的に描かれているかである。
 私は「春は馬車に乗って」の夫婦喧嘩にしろ、「ナポレオンと田虫」の田虫にしろ非常に芸術的、別の言葉でいえば人間的に描かれていると思った。

(写真:山形県鶴岡市、致道館(庄内藩藩校)。晩年(第二次世界大戦中)にこの地に疎開した。)

 
作文道場横光利一(よこみつ りいち)。
1898年3月17日 - 1947年12月30日。
菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍した。
本名は横光利一(としかず)。
早稲田大学英文科入学したが除籍。再び政治経済学科入学したが中途退学。
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